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氷河期の賢者
いつからだろう。僕は当たり前の日常に嫌気がさすようになっていた。
なんでもない友人との会話一つでさえ、面倒に感じるようになる。
テレビでニュースを見ていても、何一つ感動しない。
絶対感動すると言われている映画を見ても涙ひとつこぼれない。それがフィクションでもノンフィクションでも何一つ関係なかった。
いったいいつからだろう。
傍から見ればこんな僕は感情のない人でなしだろう。よくいう、涙も糞もないというやつだろうか。でも僕は違う。こんな自分がもどかしいし、何よりこの状態から脱却したいという気持ちがあるからだ。
しかし人の気持ちというのは不思議なもので、揺らぐことは簡単だが、一度心が固まってしまうとなかなかそこから脱却できない。クラスのヤンキー気どりが「俺は変わる」と言うが、結局それは続いて三日。それ以上は続かない。
三日坊主とは上手く言ったもので、人間はほぼそこが限界なのだろう。本当にできる人間は、どん底まで落ちない。悪い心の地盤を固めない。だから少し道をそれてもすぐに帰還できる。
僕は当然前者のヤンキー気どりの部類にあたる。ヤンキーを気取っているわけではなく、むしろ成績も良く、運動も学年でトップクラスで、親の鼻は常に高いのだが、悪い心の地盤を固めているという面では彼らと同じといえるだろう。
後者にあたるような人物と言えば、やはりずっと記録を残し続けることができる人だろう。そういう人は、多くの人から尊敬される。なぜか。
それは、人をばかにすることをしないからだ。自分に自信があるから、人にやさしくすることができる。とても美しいエネルギーが体中に流れている、そんな気がする人たちだろう。
一方、僕たちのような人種に限って人をばかにしてしまう。自分に自信がないため、人を罵って自分自身を安心させないと気持ちがもたないのだ。
友人たちはみな、僕はもっと自信を持ってもいい、と言ってくれていた。
昔は。
今は違う。今の僕は周りに誰もいない。友人はいる。でもそれは友人どまりで、自分を尊敬してくれる人間は誰もいない。ただ孤独に好成績をおさめ、好記録を残す。ただそれだけ。喜びも何もない。
これも自業自得、力がついてきたころ、人をばかにしてしまったらこういう結果だ。
日本では出る杭は打たれる、右に倣えという言葉がある。
僕はその言葉を僕なりに解釈した。才能を持っていてしっかり結果を残していても、決して威張ることもなく、調子に乗り一人浮くわけでもなく、“右に倣い”皆の歩調に合わせることができる人間が成功できる。この国はそういった仕組みになっている――やっと理解できたのだ。
じゃあ何だ、僕は外国に行けばいいのだろうか。自己主張が人生の鍵となる、海の向こうへ。
否、きっと結果は変わらないだろう。おそらく地球上どこへいってもこれだけは不変なのだ。
――人を嘲笑う者は最後に悪夢を見る
中学生でありながら、そのことに気が付いてしまった僕はまだ長い余生をどうやって過ごしていけばいいのだろうか。何か見いだせないのだろうか。
そう、変わることさえできれば何か光を見いだせるかもしれない。
けれど、僕の心の足元に固められた地盤はあまりにも固い。そして重い。その重さを作っているのは負のオーラ。僕はその呪縛から抜け出すことはできないのか――
段落はコピペ時のミスです。修正面倒なのでご了承ください。fc2で連載予定ですのでよろしくです。今のところポケボへの投下は考えていません。
あまりにポケモンと無関係すぎるのでね。へ?今までもですか?
2011/03/28 Mon 20:52 [No.211]