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管理人
管理人です
何の書き込みも無く放置しておくのは、掲示板提供社に対して失礼なので、管理人の責任として、本年元旦にPC用に掲載した記事を転載しておきます。
(めでたいに関連して幕末の記事)
『開陽丸進水式記念夕食会メニュー及びワイン・リスを…』
「夕食会のメニュー」 「ワイン」
生がき ソーテルヌ
英国風ポタージュ ヴァンドランジュ ビュー
魚 ミュスカ リプサルト
パリ風の小型パイ シャンパーニュ モエット シャンドン
コロッケ ポラポ
バイヨンヌ風生ヒレ シャトードゥ カントメルル 1859
野菜 バタイェ ボイヤック 1848
ヒェナンシェールの子牛の頭 グルオ ローズ
田シギときのこ エミルタージュ プラン
プディング・ラムソース ブルゴーニュ シャンベルタン
ノロ肉のマリーネーすぐりソース コートロティエ
七面鳥のトルフェ リュドシェメルベルグ
山シギ スティンバーガ カビン オースルセン
キジ ヨハネスベルジェ シュロッス
雷鳥 シャンパーニュ ビューブ クリコ
いせエビのジェリーマヨネーズソース
ペリゴールのよせもの
シャムひなのむし肉
バニラのババロア
ヌガー
冷たいポンチ
デザート(ケーキ・三色アイスクリーム)
(開陽丸 第2次調査報告 より)
開陽丸。
幕末に幕府が所有したオランダ製軍艦。 オランダの造船関係や造船所近隣住民の愛称「夜明け前」(Voorlichter)。 木造帆船、排水量2.590t、、長さ約72.8m、幅約13m、高さ約15m、マスト本、補助蒸気関410馬力、当時最新鋭のクルップ砲を含む砲26門。 1862年(文久2)、久世広周に依って、オランダ海軍使用の最新設備を施した、蒸気機関推進の軍艦一隻の新造を発注した。
1863年(文久3)3月にはロッテルダムの蒸気船会社にて設計が完成し、ドルトレヒトのヒップス・エン・ゾーネン造船所(ornelis Gips & Zonen)に建造が指示され、1866年6月の進水を目指して作業が開始された。
1864.12.3(土曜日)には、赤松大三郎が造船に従事する人達を慰労する意味で、 パーティーを開 き、彼らを招待している。
1865年(慶応元)完成、9月14日、開陽丸の進水式が執り行わた。
2017/01/14 Sat 10:43 [No.278]
京都歴史研究会・代表
<京都歴史研究会10月講演会>
【安政の大獄】発端から悲劇の結末へ─
◆演目:水戸藩京都留守居役 鵜飼吉左衛門、幸吉父子と安政の大獄について
◆日時:平成28年10月15日(土)
13時〜16時30分
◆会場:京都アスニー/3階
第2研修室
京都市中京区聚楽廻松下町
◆入場無料、予約無し
先着60名までは資料配布あり
◆講師:鵜飼 裕(鵜飼吉左衛門の玄孫)
ゲスト:梅田昌彦(梅田雲浜の玄孫・元大阪芸大教授)
◆内容:京都留守居役の鵜飼吉左衛門・幸吉父子が、孝明天皇から水戸藩宛の勅書を受け取りました。(戊午の密勅)
内容は幕政改革や、大老・井伊直弼排斥を促すものでした。
幕府を超えて直に水戸藩に下された為、これが引き金となる大粛清(安政の大獄)により、鵜飼父子は死罪となりました。
何故、鵜飼父子は死なねばならなかったのか!?
その無念の死の真実を、157年後の現代、御子孫の鵜飼 裕さんが訴えます。
◆補足解説:鎌田泰弘(安政の大獄の原因、戊午の密勅の重要人物[日下部伊三治]の話)
◆主催:京都歴史研究会
2016/09/16 Fri 07:08 [No.277]
管理人
このサイトは、歴史を学び楽しむための『京都歴史研究会の掲示板』です。
京都在住に限らず、日本全国の歴史に興味のある方、研究されている方なら、会員をはじめ、どなたでも書き込み・投稿等が出来ます。気軽に参加してください。
当『京都歴史研究会』は、
京都を中心に、他府県に及ぶ、広範囲の地域と時代(何時代でも可)の歴史研究、史跡調査、顕彰、後世への継承を目的とします。
※当会は政治運動とは一切関係ありません※
2015/06/18 Thu 20:40 [No.1]
安川
参加したいものですが、定員90名と書いてありますが当日参加でいいのですか?
2015/09/08 Tue 19:05 [No.119]
京都歴史研究会代表
安川様。
お問い合わせ有り難う御座います
はい、予約なしで[先着90名]を予定しています。
資料も90部ご用意しています。
19日(土)午後1時開場受付させて頂きます。
会場となる会議室が1時前にしか開きませので、準備の関係上、すみませんが廊下で並んでお待ち下さいますようお願い致します。
開場後、先着順に受付しますので、記帳後、お好きな座席にお座り下さいませ。
当日、お友達やらお誘い合わせ下さると嬉しいです
お待ち申しております。
2015/09/08 Tue 22:43 [No.120]
奥津希多世ママ
会報が届きました。
この掲示板書き込みから原稿で、時代もさまざま、印刷版も出来たそうで楽しみです
ありがとうございました
2015/09/09 Wed 00:27 [No.121]
安川
ありがとうございました。
2015/09/09 Wed 10:38 [No.122]
京都歴史研究会代表
安川様、ご来場頂けましたでしょうか?(記帳なかったので)
開場の瞬間、スタッフと同時に聴講のお客様が会議室に入られてしまい(先に席を取られた為)受付が出来ませんでした。
また芳名簿には、52名が座席にて記帳下さいましたが、書かれていない方々もいて
人数把握が出来ませんでした。
しかし資料100部作成だったとかで、残袋を確認しましたら、聴講者は70名前後のようです。
次回より、キチンと受付が出来るように致します。
聴講下さった皆々様、有り難う御座いました。
2015/09/23 Wed 14:05 [No.139]
先祖は牧野
初めて書き込みます。京都府に住んでいたことがあり、
母方の先祖が鳥取ですので、掲示板記事、興味深いです。
会報もあるのですね。年刊くらいで出るのでしょうか。
2016/06/15 Wed 03:44 [No.268]
京都歴史研究会代表
先祖は牧野 さま!
書き込み有り難う御座います
6/15に書いて下さってましたのに、返信が大変遅くなり失礼致しました。
『歴研記録』というタイトルの創刊号を昨年の9月に出しております。
現在の歴史研究会活動は、2〜3ヶ月ごとの講演会の開催と、会員同士の歴史勉強に励んでいるところです。
会報誌に関しては、全会員さんと相談の上、二号発行を考えていきたいと思います。
2016/06/26 Sun 15:45 [No.270]
京都歴史研究会・代表
歴研記録・第2号発行の件について、会員さんらと話し合い、承諾を得ましたので、
2016年内か来年早々発行することに決まりました。
まずは全会員の歴史文章・感想文を募ります。
ですから2号は盛り沢山の内容になると思います。
では、経過はまた報告致します。
2016/07/19 Tue 07:14 [No.272]
京都歴史研究会・代表
歴史研究会の機関紙
「歴研記録」の二号発行が
年内は中止になりましたこと、お詫びとともにご報告致します。
会員の皆様に募っておりました文章は、しばらくあたためて保存して頂ければ幸いです。
二号は、その会員様の文章と講演会レジュメと活動報告等々を纏めて、同人誌のような機関紙として、三年以内には発行したいと思います。
そして、その「歴研記録・二号」は世間に認めてもらいたい等の野望も持たず、学術書でもない機関紙にします。
ただ歴史好きな者が集まって、拙い文章でも、「想像と真実」「供養と顕彰」が詰まった輝く内容を目指したいと考えています。
平素より誠にお世話になっておりますが、これからもどうぞ宜しくお願い致します。
そして管理人様、貴重な時間を割いて頂き申し訳御座いませんでした。二号を発行するからには良い物をというお気持ちは十分解っております。
期待に添えませんでしたこと、お詫び申し上げます。
掲示板を作成して下さり、本当に有り難う御座いました。
2016/09/15 Thu 22:37 [No.276]
京都歴史研究会・代表
黒船来航を機に日本は開国、鎖国は終わりを告げた。
しかし江戸時代、日本は鎖国をしていなかった。
そんな鎖国令なる制度もなかったと、教科書に掲載の江戸幕府の外交政策の『鎖国』の用語は、
『士農工商』と同じく、死語となり、消えることになるかも知れない。
「太平の眠りを覚ます
上喜撰(じょうきせん)
たったしはいで
夜も眠れず」
嘉永6年6月3日(陽暦1853'7'8)、米国東印度艦隊(ペリー艦隊の黒船)来航!
この時、幕府は日本人の海外渡航を禁じ、
@朝鮮(対馬藩が交渉)
Aオランダ,中国(長崎出島が窓口)
Bアイヌ(松前藩が交渉)
C琉球(薩摩藩が交渉)
以外の海外と交渉しない、先祖伝来のシキタリ『祖法』だとして、ペリー艦隊を追い返そうとした。
だが、この祖法は、以前の教科書に記載されていた江戸時代の初めからあった鎖国令制度ではなかった。
実は、寛政の改革で有名な、
老中:松平定信が、寛政4年(1792)に来航したロシア船へ対応した『祖法』だったのである
祖法
◇通信なき国の船は召し取り、打ち払う国法が古くからある。
◇通信なき国王からの国書は往復を許さない原則がある。
『鎖国』という言葉も、享和元年(1810)オランダ商館の医師ケンペルの書いた日本誌という本が訳された時(オランダ通詞:志筑忠雄訳)
『鎖国論』と通称で名付けられたに過ぎなかった。
確かに江戸時代後半に一部の国に対して、鎖(とざ)していた時期はあったが、
鎖国なる言葉、制度もなかった。
参考文献:日本の歴史/新・真実発売:ファミマ・ドット・コム
2016/08/28 Sun 21:21 [No.274]
管理人
祖法、即ち鎖国!?
ですね、祖法は何時ごろから存在?
嘉永6年6月3日(陽暦1853'7'8)、米国東印度艦隊(ペリー艦隊の黒船)来航!この時、幕府は日本人の海外渡航を禁じ、
たそうですが、それ以前は日本人は自由に外国と交流が出来たのですか?
鎖国は無かったと言う根拠は何ですか。
やはり徳川実記などにも、鎖国の文字はないのでしょうか。
その参考文献を鵜呑みにして良いですか?
2016/09/01 Thu 11:07 [No.275]
京都歴史研究会・代表
<京都歴史研究会7月講演会>をご案内致します。
◆演目:インパール作戦の真実
◆日時:平成28年7月24日(日)
13時〜16時30分
◆会場:河原町五条下ル
ひとまち交流館 京都 3階第5会議室
◆入場無料、予約無し
先着60名までは資料配布あり
◆ゲスト:谷 祥二(欠席の場合あり)
※予備講演:杉さんぼく
◆司会進行:岸野亮哉(僧侶写真家)
第二次大戦で最も悲惨な戦場といわれたインパール作戦。
京都府・陸軍第15師団として
作戦に参加し、補給なき過酷な戦いから、わずかに生き残った兵士がいました。
その生き証人の一人、当時23歳の谷祥二さん(96歳)が、戦後76年目の今、京都の地から悲惨な戦争の真実を語ります。
貴重な歴史証言を未来に伝えるために…。
是非、皆さまの心にご記録下さい。
※谷さんの体調を考慮の上、出演中止の場合、杉さんぼくの講演に変更します。
◆主催:京都歴史研究会
2016/07/19 Tue 07:05 [No.271]
京都歴史研究会・代表
博多の豪商:島井宗室が5月中旬から京都に滞在していたが、6月初旬博多に向けて京都を立つと、信長に知らされた。ところが、これこそ信長を京都におびき出すための「罠」だった。
援軍を要請する羽柴秀吉の早馬により「天下布武」達成の最後の決戦、西国制覇のため自らも軍勢を率いての出陣を決意したところ、明智光秀、筒井順慶の軍が上洛する前に一足早く京都に赴き、ぜひとも「楢柴肩衝」の話だけはつけておきたい信長だった。
当時、茶会を開いたり、茶道具収集は武士の権力を表すステータスであったし、無論、政治に茶道を利用した信長は(御茶湯御政道)
この島井宗室が持つ楢柴肩衝を手に入れたかった。
そのため千宗易から島井宗室に連絡をさせ、「六月朔日なれば、上様の御館(本能寺)に参上仕る」との確約を得たのであろう。
こうして信長は安土城から38点の「大名物茶器」を運んで「楢柴肩衝」の茶入欲しさに5月29日の大雨の中、無防備な形で、本能寺に入ってしまったのだ。(38点の「大名物茶器」に関して、「本能寺の変」より11年後の文禄二年(1593)、堺の茶人の宗魯によって筆録「仙茶集」の中に「島井宗室宛て長庵の道具目録」あり)
この初夏の茶会は、当時の慣習としては当然「朝茶会」であった。島井宗室、神谷宗湛たちが茶道具の名器を十分湛能してから、信長へ表敬訪問に来た近衛前久など公卿41名と商人がやってきた。(これは山科言経日記に、関白以下大臣、前職までの公卿名が記され、宮廷がそっくりそのまま本能寺に移動したかのような様子が判る。)
2016/04/23 Sat 16:47 [No.261]
京都歴史研究会・代表
ところで「朝茶会」の茶頭(さどう)をしたのか?。
信長の三人の「御茶頭」のうち、今井宗久、津田宗及の二人はその日は堺にい、賓客の徳川家康、穴山梅雪一行の接待をしていた。
そして不思議なことに、残る一人の千宗易は、何故か暫く行方不明になる。
そこで茶頭として考えられるのが、長谷川宗仁(そうにん)である。長谷川宗仁が「本能寺茶会」に居合わせた可能性は高い。信長に仕えながら「本能寺の変」を羽柴秀吉にいち早く通報したというのが通説化しつつある。(後年は秀吉の寵臣になる)と
そして、博多の豪商の二人島井宗室、神谷宗湛を茶会に招く仲介役として浮かぶのが千宗易である。
5月28日少庵(千宗易の養子)の宛てに出した千宗易直筆の手紙が残っている。「…上様御上洛との由、承った。播州(秀吉)はどうなっているのか?情報わかり次第、早々に連絡請う。」…と。
書状を少庵に出して、本能寺茶会を千宗易が知らないわけがない。。
本能寺茶会を勧めていた宗易は、6月10日前後に尼崎で中川清秀(茨木城主)と会って、漸く、消息を表す事になる。
2016/04/23 Sat 17:03 [No.262]
京都歴史研究会・代表
<5月歴史講演会のご案内>
◆平成28年5月15日(日)14:00〜
◆場所:京都市中京区西洞院三条下ル柳水町75
◆会場:京の黒染屋/馬場染工業(株)TEL075-221-4759
◆演目:名水が語る京都の歴史
〜お茶と貴人の名水を中心に〜
◆講師:水文化研究家,カッパ研究会世話人
鈴木 康久(みちひさ)氏
◆柳の水説明:京都歴史研究会 代表 吉平 裕美
※馬場染工業の建つ西洞院三条下ルの地は、崇徳上皇、千利休、織田信雄、加藤清正…数多くの名だたる人物が関わった場所で、今も名水「柳の水」が湧き出ています。
講演会後は、その歴史人物らに思いを馳せながら、彼らも飲んだ同じ「柳の水」を、たっぷり味わって帰って頂きたいと思っています。
宜しければ、お立ち寄り下さい。
主催:京都歴史研究会
http://mb1.net4u.org/bbs/1109/article/id1
連絡(5月のみ使用)
:09038488284
※次回講演会の予告
平成28年7月24日(日)13時〜
ひとまち交流館 3階第5会議室
―インパール作戦の敗走と、
鳥羽伏見の戦いの同一性―
講演:谷 祥二(作戦生存兵士96歳)
予備講演:杉さんぼく
2016/04/23 Sat 16:12 [No.260]
京都歴史研究会・代表
7月講演会には、
僧侶写真家の岸野亮哉氏が、
谷さんの写真とビデオ撮影に来て下さるとか。
まだ講演会は先ですが、講演会までに谷さんの御加減伺いに お宅訪問しなくてはなりません。
貴重な歴史の生き証人ですからね。
2016/05/02 Mon 07:55 [No.265]
京都歴史研究会代表・
2016年5月15日(日)午後2時〜4時45分講演会が無事開催されました。
参加者は44名。
お一人、昨日は不参加でしたが、会社に資料だけでも欲しいと来店された男性もいました。
長岡京市から来られて、 京都新聞13日の情報ワイド欄を見られたそうです。
新聞掲載は全国版が良いですね〜〜
他にも長岡京市、城陽市、大阪府、滋賀県からも来場者がありました。
皆さん、喜んで帰宅されました。勿論、柳の水を飲まれ、汲んで
大盛況で良かったですね。
2016/05/16 Mon 22:22 [No.267]