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[ 編集 ][ 返信 ]本能寺の変・前日の茶会の陰謀

京都歴史研究会・代表

ところで「朝茶会」の茶頭(さどう)をしたのか?。

信長の三人の「御茶頭」のうち、今井宗久、津田宗及の二人はその日は堺にい、賓客の徳川家康、穴山梅雪一行の接待をしていた。

そして不思議なことに、残る一人の千宗易は、何故か暫く行方不明になる。

そこで茶頭として考えられるのが、長谷川宗仁(そうにん)である。長谷川宗仁が「本能寺茶会」に居合わせた可能性は高い。信長に仕えながら「本能寺の変」を羽柴秀吉にいち早く通報したというのが通説化しつつある。(後年は秀吉の寵臣になる)と
そして、博多の豪商の二人島井宗室、神谷宗湛を茶会に招く仲介役として浮かぶのが千宗易である。

5月28日少庵(千宗易の養子)の宛てに出した千宗易直筆の手紙が残っている。「…上様御上洛との由、承った。播州(秀吉)はどうなっているのか?情報わかり次第、早々に連絡請う。」…と。

書状を少庵に出して、本能寺茶会を千宗易が知らないわけがない。。

本能寺茶会を勧めていた宗易は、6月10日前後に尼崎で中川清秀(茨木城主)と会って、漸く、消息を表す事になる。

2016/04/23 Sat 17:03 [No.262]

  1. [261] 博多の豪商:島井宗室が5月中旬から京都に滞在していたが、6月初旬博多に向けて京都を立つと、信長に知らされた。ところが、これこそ信長を京都におびき出すための「罠」だった。

    援軍を要請する羽柴秀吉の早馬により「天下布武」達成の最後の決戦、西国制覇のため自らも軍勢を率いての出陣を決意したところ、明智光秀、筒井順慶の軍が上洛する前に一足早く京都に赴き、ぜひとも「楢柴肩衝」の話だけはつ  ・・・・ >> 続き
    本能寺の変・前日の茶会について
    京都歴史研究会・代表 2016/04/23 16:47
    1. [262] ところで「朝茶会」の茶頭(さどう)をしたのか?。

      信長の三人の「御茶頭」のうち、今井宗久、津田宗及の二人はその日は堺にい、賓客の徳川家康、穴山梅雪一行の接待をしていた。

      そして不思議なことに、残る一人の千宗易は、何故か暫く行方不明になる。

      そこで茶頭として考えられるのが、長谷川宗仁(そうにん)である。長谷川宗仁が「本能寺茶会」に居合  ・・・・ >> 続き
      本能寺の変・前日の茶会の陰謀
      京都歴史研究会・代表 2016/04/23 17:03