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鎖国はなかった

京都歴史研究会・代表

黒船来航を機に日本は開国、鎖国は終わりを告げた。

しかし江戸時代、日本は鎖国をしていなかった。

そんな鎖国令なる制度もなかったと、教科書に掲載の江戸幕府の外交政策の『鎖国』の用語は、

『士農工商』と同じく、死語となり、消えることになるかも知れない。

「太平の眠りを覚ます
 上喜撰(じょうきせん)
 たったしはいで
 夜も眠れず」
嘉永6年6月3日(陽暦1853'7'8)、米国東印度艦隊(ペリー艦隊の黒船)来航!

この時、幕府は日本人の海外渡航を禁じ、
@朝鮮(対馬藩が交渉)
Aオランダ,中国(長崎出島が窓口)
Bアイヌ(松前藩が交渉)
C琉球(薩摩藩が交渉)
以外の海外と交渉しない、先祖伝来のシキタリ『祖法』だとして、ペリー艦隊を追い返そうとした。

だが、この祖法は、以前の教科書に記載されていた江戸時代の初めからあった鎖国令制度ではなかった。

実は、寛政の改革で有名な、
老中:松平定信が、寛政4年(1792)に来航したロシア船へ対応した『祖法』だったのである

祖法
◇通信なき国の船は召し取り、打ち払う国法が古くからある。
◇通信なき国王からの国書は往復を許さない原則がある。

『鎖国』という言葉も、享和元年(1810)オランダ商館の医師ケンペルの書いた日本誌という本が訳された時(オランダ通詞:志筑忠雄訳)
『鎖国論』と通称で名付けられたに過ぎなかった

確かに江戸時代後半に一部の国に対して、鎖(とざ)していた時期はあったが、

鎖国なる言葉、制度もなかった。

参考文献:日本の歴史/新・真実発売:ファミマ・ドット・コム

2016/08/28 Sun 21:21 [No.274]