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[54]
いわゆる南北朝の南朝57年は後醍醐天皇に始まるが、幕末維新では南朝正統論が沸騰した。
その嚆矢は水戸学にあり、大要は明暦3年(1657)水戸光國主導の大日本史(明治39年=1906)と、頼山陽の日本外史・日本政記につきる。
それが室町時代は逆賊とされた楠木正成の復活を呼び、南朝正当論に拍車をかけ、幾多の幕末維新勤王の志士・文人墨客たちをして湊川神社に詣で ・・・・ >> 続き
幕末明治に続いた南北朝
奥津希多世ママ
2015/07/24 07:28
[59]
今の天皇さんは、北朝系-ホクチョウですね。
伏見・藤森神社の宮司さんも講演ではっきり仰有ってました。
一応、明治の頃にはどうやら決着はついたようで、以後タブーなのか表面化せずに今日に至ってる訳です。
もう少し知られても良いのではないでしょうか。
今の天皇さんは…
杉さんぼく
2015/07/26 00:02
[60]
水戸学を分析してみると光圀時代の前期水戸学(水戸史学)と斉昭時代の後期水戸学(水戸政教学)の二つに分類することが出来る。前期水戸学とは大日本史修史方針である大義名分論及び、尊王斥覇論から生じた尊王論である。後期水戸学とは幕末の内憂外患の非常時に対処する為、永年藩内に於いて育成された尊王論と新たに外敵に備える為の攘夷論とを結びつけて主唱した尊王攘夷論である。
徳川幕府の官学は朱子学で ・・・・ >> 続き
水戸学と南北正閏論
藤原改新
2015/07/26 10:15
[32]
数年前、能の初舞台デビューで道成寺を観ました。
これは歌舞伎での演目、「京鹿子娘道成寺」として有名、南座での上演に際し、歌舞伎役者は妙満寺の鐘にお詣りする、とされています。
今は移転した岩倉の妙満寺に、京歴会代表と行った折はさして話題にはなりませんでしたけどね。
そこで調べて見ると…。
紀州道成寺の鐘は、高さは1m安珍・清姫の鐘として妙満寺資料館に安置されて ・・・・ >> 続き
妙満寺の鐘
奥津希多世ママ
2015/07/19 11:12
[46]
ママさん。
妙満寺に道成寺の鐘があるのは、豊臣秀吉が根来寺を攻めた際に
秀吉の家臣がこの鐘を見つけ
合戦でこの鐘を使い、清姫の怨念を解くために京都へ運んだそうです。
ところで、妙満寺には、花登 筺(1928年-1983)の墓がありますね。
芸能人も多くお参りされるようです。。
因みに花登筺というペンネームはイギリス ・・・・ >> 続き
Re: 妙満寺の鐘
京都歴史研究会代表
2015/07/21 22:08
[47]
会長代表さん。
ありがとうございます。今はない妙満寺の方ではなく、そのまだ西の彼方は故郷の
長州かもわかりませんよね。
Re^2: 妙満寺の鐘
奥津希多世ママ
2015/07/22 11:34
[36]
お茶壺道中の話ですが、茶壷道中の行列が来ると世話ばかりかけさせられて(追われて)、煮炊きの煙も出せずに困り、「ずいき」を食べなければならないのを見かねたので、行列宿泊を断った本陣並みのお寺がありますね。
その寺、岐阜にある久運寺で、「お茶壺道中ゆかりの寺」との看板があるそうです。
宿泊を命じた城主により、何とか断った住職を説得し、茶壺宿として役目を果たしましたが、住 ・・・・ >> 続き
茶壺に終われてとっぴんしゃん
奥津希多世ママ
2015/07/21 00:19
[38]
将軍が飲む茶に限って、御大層に・・・
それを真剣に有難がって、恐れ戦いて勤務する役人が、関係の無い通行近隣の、上は大名から下は庶民までに、その責任を権力で押し付る道中なんて・・・
まぁ 迷惑な話ですなぁ!
のんびり宿泊なんかしてねぇで、宿場継立でトットとイッチめぇよ!!
たかが小便の元を(チョット言い過ぎ、汗)
・・・・ >> 続き
Re: 茶壺に終われてとっぴんしゃん
木曽 武
2015/07/21 07:31
[39]
お茶壺道中
グーグルから貰ってきました。
Re: 茶壺に終われてとっぴんしゃん
木曽 武
2015/07/21 08:16
*
[42]
ずいずいずっころばし
の解釈
★昔、宇治から江戸の将軍に
[新茶
]献上する為の
「お茶壺道中の一行」が、
(最大で人足1140人.馬
161頭)たいそう
えらそうにして
通っていた。
その当時は、
まだ[斬り捨て御免
]の時代
庶民は粗相の無いように、細心 ・・・・ >> 続き
Re: 茶壺に終われてとっぴんしゃん
京都歴史研究会代表
2015/07/21 19:17
[21]
十津川郷士について述べましょう。
まず郷とはムラ、士とはサムライのことで、十津川村天誅殺人事件という、西村京太郎氏の小説に沿革説明がありますから、これが判りやすいでしょう。
十津川と言えば、天誅組挙兵が思い浮かべます。
詳細は略しますが、天誅組となぜ十津川なのかと言えば、十津川の勤王にゆかりある土地柄だと言うことがあげられます。
> 続き
十津川郷士
杉さんぼく
2015/07/18 08:39
[29]
深い歴史が隠れていた処だったのですね!
僕の 35〜40年に及んだバイク人生の中で、
和歌山・三重に向かう途中、何度も十津川を訪れてますが…
山の中の田舎、不文明なつり橋、の感しか無かったのですが…
その頃の僕の頭の中で、天誅組と十津川は繋がってませんでした。
不勉強だったんですね、今でも深くは分からないのですが(恥)
Re: 十津川郷士
木曽 武
2015/07/18 09:20
[37]
何年か前の台風被害あって、また今回もかと心配いたしましたが、大丈夫だったようで何よりです。
Re^2: 十津川郷士
奥津希多世ママ
2015/07/21 00:26
[15]
古い俳優さんの話です。
嵐寛さんってご存知ですか。
嵐寛こと葉村屋-嵐寛寿郎は、明治35年12月8日に京都木屋町三条下ルで生まれました。
本名高橋照一、祖父の名は桐竹紋十郎、叔父に嵐徳三郎、叔母に三味線名人と言われた祇園の芸妓がいて、この娘が森光子です。(ネットでの明治36年とあるのは間違い)
祖父紋十郎の連れ合いで、祇園縄手は祖母の ・・・・ >> 続き
京都嵐寛余話
奥津希多世ママ
2015/07/17 15:20
[17]
奥津希多世ママさん こんばんは
嵐寛十郎こと、むっつり右門(近藤右門)それから鞍馬天狗…
大好きでした!!!
映画はどれも見たいのに、お金が無くて、たまに貰う僅かの小遣いを、お菓子とか欲しいものも買わずに、必死で貯めて映画を見に行ったものです。嬉しくてうれしくて……
懐かしい小学生の頃の思い出です。
Re: 京都嵐寛余話
木曽 武
2015/07/17 18:53
[26]
> 奥津希多世ママさん こんばんは
>
> 嵐寛十郎こと、むっつり右門(近藤右門)それから鞍馬天狗…
> 大好きでした!!!
> 映画はどれも見たいのに、お金が無くて、たまに貰う僅かの小遣いを、お菓子とか欲しいものも買わずに、必死で貯めて映画を見に行ったものです。嬉しくてうれしくて……
>
> 懐 ・・・・ >> 続き
Re^2: 京都嵐寛余話
杉さんぼく
2015/07/18 08:59
[27]
キー操作間違えました
。
Re^3: 京都嵐寛余話
杉さんぼく
2015/07/18 09:04
[28]
なるほど〜杉作、日本の夜明けは近い!
Re^3: 京都嵐寛余話
杉さんぼく
2015/07/18 09:18
[6]
本会は、京都を中心に平安時代から幕末。明治維新までの広い範囲の歴史研究を目指しています。
研究発表会や、フォーラムの開催なども計画しています。
自分は、本会の代表ではありませんが、会の発展と永続を祈る者です。
よろしくです♪♪♪
京都歴史研究会の掲示板
木曽 武
2015/07/14 08:43
[18]
いつも 有り難う御座います。
こちらこそ
ご指導願い、勉強に成ります。
よろしくお願い致します。
Re: 京都歴史研究会の掲示板
京都歴史研究会代表
2015/07/17 20:13
[25]
騙る会にはなりたくないですね。
Re^2: 京都歴史研究会の掲示板
杉さんぼく
2015/07/18 08:58
[12]
旧暦は明治5年11月9日に司法省令第22号により、12月3日を明治6年(1873)1月1日としました。
従って、明治5年は12月2日まででした。
だから、明治6年1月1日(12/3)以降は現代暦で解釈します。
余談ながら例えば、池田屋騒動は元治元年6月5日(新暦1864/7/8-金)に起こっていますが、新撰組ファンならご存知の、通説にいう祇園祭の宵宮ではあ ・・・・ >> 続き
暦の歴史余話
杉さんぼく
2015/07/15 22:14
[14]
杉さん こんにちは
結構たくさん書き込みましたね!
面白いです! もちろん勉強になります。
明治6年1月1日(12/3)は水曜日だったそうですが、間違いないですか。
Re: 暦の歴史余話
木曽 武
2015/07/16 16:48
[23]
はい、明治6年1月1日(12/3)は水曜日で間違いありませんよ。曜日記載の万年新旧暦は会長代表も持っておられます。
新旧暦は、明治以前歴史の基本中の基本ですからね。
君が代斉唱に目くじらたてる、文科省もなぜか教えようとしません。
Re^2: 暦の歴史余話
杉さんぼく
2015/07/18 08:50
[20]
祇園祭は…御霊会。
初め山鉾巡行は神社とは関係の無い行事で、明治以前は、雑色と呼ばれる人たちの支配になっていました。
巡行の前夜祭は、宵宮ではなく宵山になります。
天神祭は…天満宮の神事ですから、宵宮ですね。
八坂神社の神事では…宵宮ナンチャラと云うようです。
鉾町では、前夜祭を宵山と云うのでしょうね。
Re: 暦の歴史余話
京都歴史研究会代表
2015/07/17 20:31
[24]
山鉾巡行は四条通りまでが優雅な祗園囃子の流れと共に進む、八坂祗園社への奉納神事で、河原町の辻回しからは、戻り囃子音色に乗って鉾町に戻ります。
Re^2: 暦の歴史余話
杉さんぼく
2015/07/18 08:56
[22]
ちなみに、龍馬惨殺に、十津川の者としてその名刺が利用されました。
そこには、慶応年間、獄にいた適塾々生十津川郷士深瀬仲麿の名がありました。(適塾会誌にご子孫寄稿談)
十津川郷士の名が出るなら、中岡慎太郎を狙っていたのか、或いはカモフラージュだったか…。
十津川郷士余録
杉さんぼく
2015/07/18 08:41
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