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あんびしゃん(氷河期の賢者
翌日。富子は老人に今までの話をした。
「父ちゃんはね、優しかったよ。富子が弁当を落としちゃっても、食べられるからって、ありがとうって言ってくれたの」
「優しいお父さんだなあ」
「だから、富子も優しい子なんだねえ」
「富子優しいの?」
「富子は優しい子だ。富子はいい子。いい子。お豆を食べよう」
老婆は頷き、富子を抱きかかえ、棚の方に向かう。
「おばあちゃん……ねえ、さっきから音が聞こえるんだけど」
小さな狭いガマのため、歯ぎしりのようなその音はよく聞こえていた。
「ああ、それはね、おじいさんの傷にたかるウジの音だよ。おじいさんの傷を食べているんだ」
「ウジ……」
富子の顔から血の気が引いた。人を食べる虫……富子は自分も食べられるのかと思ってしまう。富子が突如として静まり返ったのに気がつき、老婆はあわてて補足する。
「で、でもね、ウジは悪いところを食べてくれるんだよ。おじいさんの中に入り込む、悪いものを退治してくれるんだ」
「本当に? おじいちゃんをいじめてるんじゃないの?」
「うん。おじいちゃんも痛がらないから、大丈夫なんだよ」
富子は安堵の表情を浮かべる。それが見えなくとも、老婆もにこやかにほほ笑んだ。
「富子は、本当に優しいねえ」
そんな平和な毎日が二週間も続き、富子はすっかり老夫婦になじんでいた。
富子は地面に絵を描いていた。その時、頭にひらひらと紙が落ちてきた。
「これなあに?」
「富子、持ってきなさい」
老人が富子から手渡され、その紙を見た。チラシである。
「なんて書いてあるのです?」
盲目の老婆は老人に聞いた。
「数日の間にガマからでないと爆破する……アメリカからだ」
「とととととと富子、富子はここにいるよ」
「駄目だ。富子は行きなさい」
「やだ! おじいちゃんとおばあちゃんと一緒にいる!」
「富子は優しい子。だから私たちと一緒にいようとするのもよくわかる。でもね、富子はお父さんとお兄ちゃんとお姉ちゃんの分までいきなきゃいけないんだよ」
富子ははっと思いだした。あの決意も、全て話した。この老夫婦は、富子の決意を尊重している。
「明日、ここから出るんだ。でないと――」
老人の声は、拡声器による大声で遮られた。
「ニホンノミナサン、ワタシノハハオヤハニホンジンデス。シンジテクダサーイ! ハヤクデテキテクダサイ! ソウシナイトバクハシマス! ハヤクデテキテクダサイ! ワタシニホンジンコロシタクアリマセン!」
アメリカ兵の説得が始まる。富子には悪意にしか思えない。
「……おばあさん、ふんどしと木の棒を持ってきなさい」
「はい」
老婆はそれらを持ってきて、富子とおじいさんの間に置いた。
「富子、ふんどしをちぎって、木に巻きつけて、白旗を作りなさい」
「白旗を……?」
「そうだ、時間がない。はやくしなさい」
老人は焦っていた。いつ爆破されるか分からない。富子は生き残らせなければいけないという責任を感じていた。
あっという間に日がくれ、夜が更ける。富子は反射的に眠りについてしまい、老婆が残りをとり繕う。そして翌朝、老婆の声で富子は目が覚めた。
「できました! 富子、どうぞ」
老婆は白旗を手渡す。手は傷だらけだ。盲目の老婆にとってこの作業は苦痛だったであろうが、富子のことを思ったからだろう、早くできた。
「でも……富子はもう行かなくちゃいけないの?」
「そうだ。いつ爆破されるかもわからんのだ。お前は生き残らなければいけない」
老人はいつになく厳しい口調で言ったが、堅い表情はすぐに崩れた。富子がまた目に涙を浮かべているからだ。
「ああ、ごめんよ」
「……うん。でも、富子外に出たからって生き残れるの?」
「大丈夫。その白旗を持っている限りは大丈夫。その白旗は、平和の証だ」
「平和の……証?」
富子が首をかしげると、老婆が補足する。
「そう。平和の証。それを持っていれば、アメリカも襲ってこない」
「八つ裂きにされないの?」
「されやしないさ。富子を八つ裂きにしようなんて人は誰もいない」
老婆は富子を抱きしめた。
「いいか富子。命どぅ宝じゃ。富子の命こそ宝じゃ。命を宝だと思えば、お互いに仲良くなれる。命を宝だと思えば、お互いを助け合うことができる。命を大切にするんじゃ。わしらはもう、外に出ても動けない。外に出れば命を捨てることになる。だから富子、わしらの分まで生きてくれ。その白旗は、生きるためのものじゃ。命を大切にするためのものじゃ。平和のためのものじゃ」
「おじいちゃん……」
「富子、行きなさい。富子は優しい子。だから、命を大切にできる。命は宝。忘れないでね」
2011/08/16 Tue 19:06 [No.567]