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杉さんぼく
続いて、以下も河田左久馬関連。
昭和43年の名著「山国隊」(仲村研著-学生社)によれば、昭和40年代の河田左久馬景與相続人は、河田須賀江さん(80歳)だったとあります。
当時、鎌倉の鳥取藩主池田家子孫の池田家に、なぜかその家臣の子孫も同居されていた、と言うわけです。
河田左久馬景與には、妻喜久子さんとの間に一男四女がいて、唯一の長男頼功は明治30年急逝、その友人穂波喜久之助が河田家に養子に入って景延と改名して跡を継ぎました。
この景延と結婚するのが須賀江さんで、佐久馬実弟精之丞の子景尚の長女になります。
その生家河田景尚邸は、京都一条新町にあり、時代祭に参列するに先立ち、この河田景尚邸に立ち寄った、とかで、左久馬関係資料は東京大塚の従弟佐々木秋生さん宅にある、と話しておられます。
佐々木秋生さんの父親の名は佐々木仙介、その父親は佐々木男也、奇兵隊南園隊々長の長州人でした。
従って、みささん(景尚の妻)仙介さん姉弟のそれぞれの子供が、須賀江さんと秋生さんとなり、尊王攘夷運動の長州、因州交流繋がる幕末維新の、姻戚関係の深さが感じられなくありません。
ちなみにこの佐々木家には、河田左久馬宛て龍馬書簡も確かあったと思います。
この佐々木家資料のその後は、確認されていません。
これらの史資料はどうなったか。
河田左久馬の墓が東京で守られるのか、京都の須賀江さんの実家縁戚、あるいは精之丞景福の子孫縁戚で守られるのか…。
(参考・仲村研-山国隊/学生社/中公文庫)
2015/07/28 Tue 20:58 [No.74]