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[ 編集 ][ 返信 ]Re^2: 気になる人々 続・藤野齋と千葉重太郎

杉さんぼく

タイトル藤木斎になって、すんまへん。

単なる打ち間違えで深謝で…。
誤植訂正の打ち方分かりません〜。

2015/10/15 Thu 20:02 [No.160]


残り18件

  1. [30] 『井伊家史料 幕末風聞探索書 安政五年編』の安政五年八月 京都町奉行与力渡辺金三郎より長野主膳へ密勅降下、青蓮院宮・鷹司・三條等密議の件探索報告より、「薩州候御家来鵜澤信三」なる人物が出てきます。実は薩摩藩士 日下部伊三次の変名なのです。この人物の生涯は文化11年(1814年)、元薩摩藩士・海江田訥斎連の子として誕生。出生当時、父は脱藩して水戸藩にいたので常陸国多賀郡で生まれる。
    > 続き
    気になる人々 その1
    大ふへん物 2015/07/18 18:08
    1. [66] 金輪五郎(本名 志渡長治)諸説ある生年があり、20代後半から30代後半か。

      秋田は阿仁銀山町、真木沢鉱山の台所手代(労働者の指揮監督役)をしていた志渡家の次男として誕生。

      17〜18歳の頃、久保田の城下に出た後、渋江内膳家へ下男奉公しながら直真影流を学ぶ。
      得意手を片手横面打ちだったとした。

      身長5尺前後の短躯ながら五人力  ・・・・ >> 続き
      気になる人々 金輪五郎
      杉さんぼく 2015/07/27 22:49
      1. [67] 相楽総三について触れたい。

        というのも、学者志士相楽総三が郷学校設立を熱望していたのは全く知られていないからです。
        以下、森安彦国文学研究資料室教授の講演(1994/7/28)を参照に紹介しましょう。

        まず、ここに荏原郡(東京世田谷)に、郷学校を作った髪結い渡世の常次郎なる人物がいます。
        明治維新政府は、財源のないままに各村で寺子屋と  ・・・・ >> 続き
        気になる人々 髪結い渡世常次郎と相楽総三
        杉さんぼく 2015/07/27 22:59
        1. [72] 見廻組以外の大野應之助門人余話

          金輪五郎友行(本名 志渡長次郎1833〜1868/12/29)
          秋田藩下の阿仁銀山(阿仁合町)、真木沢鉱山の台所手代(労働者の指揮監督役)志渡平四郎の次男として誕生。
          志度氏の先が金輪で、久保田藩佐竹3人扶持の苗字帯刀を許された家柄である。

          17〜18歳の頃、久保田の城下に出た後  ・・・・ >> 続き
          気になる人々 大野応之助門下
          杉さんぼく 2015/07/28 10:54
          1. [73] 京都の人見勝太郎と共に遊撃隊として闘った隻腕の粋な幕臣剣客、伊庭八郎に触れます。

            心形刀流伊庭八郎秀穎、幕臣、元治元年徳川家茂上洛に随行、遊撃隊として鳥羽伏見の戦いで負傷し、東帰後、西軍の後方を衝く箱根の戦いで左腕を負傷、左手首を失いました。
            しかし、その身体で敵を追い払って今に名を留めその後、箱館に至り歩兵頭並として善戦しました。

            確かに、池  ・・・・ >> 続き
            気になる人々 伊庭八郎
            杉さんぼく 2015/07/28 20:49
          2. [77] 金戒光明寺の墓地に
            大野應之助の墓があり、

            一昨年探しましたね
            墓石が横たわってました

            ちなみに、河上玄斎ではなく、河上彦斎(げんさい)ですね〜
            Re: 気になる人々 大野応之助門下
            京都歴史研究会代表 2015/07/29 20:27
        2. [197] 赤報隊相楽総三に絡んだ話。

          赤報隊池田勝馬こと黒駒の勝蔵は、土佐の那須信吾と繋がりのあるのはあまり知られていないでしょう。

          それだけにまた、東海の侠客水野弥太郎や黒駒勝蔵は赤報隊の致命傷でした。

          早い時期に長谷川伸氏は、「相楽総三とその同志」以前に「伝法さむらい」を著していますが、主人公に桜井常五郎を配し、農民あがりのヤクザな赤報隊  ・・・・ >> 続き
          気になる人々 幕末博徒と相楽総三
          杉さんぼく 2015/11/14 20:23
          1. [198] そう言えば、国定の長岡忠次の忘れ形見・大谷千乗(後に刑部国次を名乗る)も赤報隊に関わっていたとかどうとか…。(小説に、山田風太郎著「旅人国定龍次」「魔群の通過」がある)

            話し変わって、岩倉卿絡みの尾張藩青松葉事件についてです。
            当時、岩倉卿の動きとはかけはなれていた位置のが三条卿。

            この方はあまりポリシーのないお公家さんで、その分早くから行動力  ・・・・ >> 続き
            気になる人々 青松葉事件と相楽総三と西郷吉之助
            杉さんぼく 2015/11/14 20:32
          2. [259] 吉井良隆宮司から、第54代良昭宮司の代になってる西宮神社吉井家の話をします。

            その傍系の吉井宮司と言えばやはり貞俊権宮司が、伊勢本街道で馴染みが深いんですが、なぜか、「良」がつくのにこの権宮司さんは貞俊と言うお名前で、残念ながら故人になられてしまいました。

            それにしても、吉井一族は皆さん健筆家です。

            西宮史話の良隆宮司以前なら、14  ・・・・ >> 続き
            気になる人々 赤報隊・飯田武郷と西宮
            杉さんぼく 2016/04/09 09:01
      2. [147] 山国隊、藤野齋と千葉重太郎について触れます。

        それは明治元年11月に始まります。

        山国隊が因州藩の属農兵隊という事で、因幡藩江戸屋敷納戸役(金銀.衣服.調度出納)千葉重太郎が、藤野齋を因州裏判所(藩財政)に周旋した間柄により、帰郷に際し、それまでの立て替え金373両の返却督促に千葉重太郎が来ました。

        今、帰郷費用を裏判所に借財申請し  ・・・・ >> 続き
        気になる人々 藤野齋と千葉重太郎
        杉さんぼく 2015/10/06 06:48
        1. [148] やがて翌7日になって、ようやく山田から、裏判所と千葉より500両を借り出す事に成功、借金清算して東京を後に出来ました。
          こうした経緯に藤野の心に残ったのは、山田のような藩官僚への不信と憤懣のなにものでもありません。
          考えれば、龍馬と土佐藩京都官僚にも似たような何らの関係があったのでは、と勘ぐれます。
          かくして出征者35人中、戦死4人病死2人他負傷の山国隊、明治元年11  ・・・・ >> 続き
          気になる人々 続・藤野齋と千葉重太郎
          杉さんぼく 2015/10/06 06:51
          1. [149] タイトルが 藤野斎でなく
            藤木斎になってます。
            誤植の訂正の仕方を知りたいですね〜。
            Re: 気になる人々 続・藤野齋と千葉重太郎
            京都歴史研究会代表 2015/10/08 16:12
            1. [160] タイトル藤木斎になって、すんまへん。

              単なる打ち間違えで深謝で…。
              誤植訂正の打ち方分かりません〜。
              Re^2: 気になる人々 続・藤野齋と千葉重太郎
              杉さんぼく 2015/10/15 20:02
    2. [74] 続いて、以下も河田左久馬関連。
      昭和43年の名著「山国隊」(仲村研著-学生社)によれば、昭和40年代の河田左久馬景與相続人は、河田須賀江さん(80歳)だったとあります。
      当時、鎌倉の鳥取藩主池田家子孫の池田家に、なぜかその家臣の子孫も同居されていた、と言うわけです。

      河田左久馬景與には、妻喜久子さんとの間に一男四女がいて、唯一の長男頼功は明治30年急逝、そ  ・・・・ >> 続き
      気になる人々 河田左久馬
      杉さんぼく 2015/07/28 20:58
      1. [75] 続いて…の項より、こちらが先でした。

        鳥取因幡の内紛事件、本圀寺事件について〜。

        文久3年8.18政変前夜の17日に本圀寺にて勤王派河田左久馬等によって、黒部側用人を襲い、別働隊は佐幕派早川、加藤他を襲撃した事件です。

        河田左久馬と言えば、龍馬つながりがありますね。

        なぜか小説的なエゾ地開拓や鬱陵島新国開拓に  ・・・・ >> 続き
        Re: 気になる人々 河田左久馬本圀寺事件
        杉さんぼく 2015/07/28 22:52
        1. [177] 天朝だ、大樹公方さまだ、と喧しいあの時代はどこの藩、家中でも、勤王佐幕の内部抗争はありました。

          しかし、水戸人は何人の人が尊王攘夷の名で、外に向かわず、内に闘いの内乱抗争で亡くなったのでしょう。

          福井は敦賀の地、1000人余りが水戸から長行したその果ての、天狗党の悲劇353人の墳墓、敦賀湾近くの松原神社には411柱が祀られていて、今も子孫探しをしている研  ・・・・ >> 続き
          気になる人々 敦賀天狗党惨殺
          杉さんぼく 2015/10/28 03:27
          1. [178] 長行の果てに頼る慶喜公は、元冶元年12月17日に禁裏総督として間近の近江海津まで出張っていました。
            天狗党を討つべし、と手柄に逸るその弟昭徳(昭武)も来て布陣します。

            結局、事が済むや慶喜公は「この際の処置決まり安心に候」と書いたりもしていますから、自分の立場にほっとしたのでしょう。

            或いは皮肉な事に、以下のような逸話もあります。
            <  ・・・・ >> 続き
            気になる人々 続・敦賀天狗党惨殺
            杉さんぼく 2015/10/28 03:34
            1. [179] 天狗党死の長行路(出発時は1000余人が800数余人になり、この中の500人余りは水戸郷校で学んだ若者農民たちだった)で、揖斐根尾川へ向かう途路に、西郷吉之助使者として中村半次郎が来て、本道を西に進んで慶喜公に降伏すれば…と勧めているのは、西郷の意見か薩摩の意見かは計りかねる点は否めず、寺田屋事件の前例があるだけに、この点に疑問も残ります。

              大久保同様に、前述したように西郷も  ・・・・ >> 続き
              気になる人々 続々・敦賀天狗党惨殺
              杉さんぼく 2015/10/28 03:37
              1. [180] 敦賀市水戸烈士遺徳顕彰会は、小学生向け解説の小冊子まで無料で作られて顕彰していますね。

                ましてや、敦賀と水戸はなんのゆかりもなしなのに。

                観光ばかりに先行する京都の殿様観光では、ここまではしません。

                もう少し、他県人の供養顕彰に力を注いで欲しいと思わざるを得ません。

                この例では、東吉野の天忠(誅)組遺跡、墳墓も  ・・・・ >> 続き
                気になる人々 続々々・敦賀天狗党惨殺
                杉さんぼく 2015/10/28 03:48
                1. [181] 武田耕雲齋辞世

                  討つもはた
                  討たるるもはた 哀れなり
                  同じ日本の 乱れと思へば

                  咲く梅の
                  花ははかなく 散るとても
                  馨りは君が 袖にうつらん

                  という武田耕雲齋の和歌にちなんだのか、水戸から運ばれた水戸紅梅が多数植樹されています。

                  武田耕雲齋の孫に当たる武田金次郎、まだ年少  ・・・・ >> 続き
                  気になる人々 続々々々・敦賀天狗党惨殺
                  杉さんぼく 2015/10/28 03:52
      2. [172] 田中河内介父子に対し、科人‐とがにんと云う烙印を押された―、との認識で言われる方がいます。

        しかしながら、これは正しくなく、ましてや科人(咎人)ではないのではありません。

        柿本人麻呂のいろは歌ではありませんが、やはりは罪科=とがなくて死すと思われます。

        同じ例に、長州人による中山忠光卿惨殺事件があります。

        中山  ・・・・ >> 続き
        気になる人々 田中河内介父子
        杉さんぼく 2015/10/21 13:04
    3. [128] 小栗忠順について〜
      幕末維新の短い期間に任免を70数回繰り返した小栗の、後世に残した事業に有名な横須賀製鉄所(横須賀造船所)があります。
      この製鉄所建設に関して、小栗は慶応元年、推進派の外国奉行柴田日向守を仏に派遣し、資器材、要員、生糸販売等の専売機関となるコンパニー創設の方法協議に着手、柴田報告をもとに「交易商社」コンパニーの建設書を幕府に提出しました。
      順調にいけ  ・・・・ >> 続き
      気になる人々 小栗忠順
      杉さんぼく 2015/09/11 10:11
      1. [189] 服部半蔵、いうまでもなく武将忍者であるのは、誰しもに知られています。

        その墓が東京の四谷西念寺にあり、墓維持に窮した時の事。

        そこで勝海舟が相談を受けた(明治16年月26日)関連の記述が、海舟日記にあります。

        …梶田(政光)、服部半蔵へ三円遣わす…(3月14日)

        海舟と服部半蔵、どう繋がるんでしょうね。
        > 続き
        気になる人々 勝海舟忍者群屋敷に住む
        杉さんぼく 2015/11/10 20:08
        1. [190] 龍馬の本家になる才谷屋文書(六代直益順水日記)の記述に、日下茂兵衛と言う土佐のネズミ小僧なる、享保の頃の怪盗の事が記されています。

          本当にいたのだろうか、と伝説説、実在説の論議がある中、才谷屋文書に実在説の記載があったのです。

          享保六年九月四日夜、蓮池町牢舎の罪人日下茂兵衛といふもの、相牢の者の銀を盗み取り、牢をぬけ欠け落ち仕る…。

          > 続き
          気になる人々 土佐の忍び小僧・日下茂兵衛
          杉さんぼく 2015/11/10 20:26
    4. [129] 本名和栗吉次郎(1822[1836?]〜1894)、墓に刻まれたように後年名乗る井汲=いくみ姓は、剣を学んだ師の備中津山藩士井汲唯一に由来します。

      彼は元治元年12月18日の「倉敷-下津井屋事件」(下津井屋が米の買い占めをする不正を、大橋と云う町役人が代官所に訴えますが、まるで時代劇のように、その代官は下津井屋と結託していて、身柄を釈放し、逆に下津井屋が、大橋は不逞浪士と交流  ・・・・ >> 続き
      気になる人々 新選組隊士-井汲恭平
      杉さんぼく 2015/09/11 10:14
      1. [161] 人斬り以蔵、誰が言い出したか。

        幕末維新での同時代資料には、人斬り半次郎とか、人斬り新兵衛、そしての人斬り以蔵…、結局は、維新後に語られ創られた呼称でしょう。

        そんなひとりに明治を迎えた人斬りに河上彦齋がいます。
        人斬り彦齋?、俺は人斬りか、人斬りと言われるほど人を斬った事などないぞ、と言ったとか。
        この例は、半次郎、桐野利秋も同様で  ・・・・ >> 続き
        気になる人々 岡田以蔵
        杉さんぼく 2015/10/15 20:40
        1. [162] 大塩事件に触れます。

          天保8年2月19日(1837年3月25日土)の朝、自らの屋敷に火を放って、大坂町奉行与力大塩平八郎中齋が救民救済の為に決起しました。
          大塩平八郎の乱として世に伝わる、明治維新より30年前の事です。

          幕末維新を語る時、その始まりをこの@大塩平八郎の事件と見るか、或いはAペリー来航と見るかの評価が分かれます。
          > 続き
          気になる人々 大塩平八郎
          杉さんぼく 2015/10/16 04:33
          1. [163] その一例に清河八郎の話をします。
            この清河八郎が安政2年、母親他を伴って京都を始め伊勢や金毘羅、岩国等を廻った日記「西遊草」を残しています。
            むろん大坂にも泊っています。
            しかし、清河八郎なら大塩平八郎事件に興味持ちそうと思うのに、各地では旧跡に興味を示しながらも大塩事件遺跡には全く触れていません。
            「心斎橋通は大坂第一にぎはひの町にて、夜店のにぎはひをびた  ・・・・ >> 続き
            気になる人々 続-大塩平八郎〜清河八郎
            杉さんぼく 2015/10/16 04:46
            1. [164] 幕末期に活躍して人気を博した歌舞伎俳優(ワザヒト)に、三代目中村仲蔵(1809〜1886)が書き残した一代記・手前味噌(日本演劇文献研究会編1944/青蛙書房1969復刊)があります。

              それによるとこの仲蔵さん、景気が悪い上に大塩事件でよりいっそう景気が悪くなった大坂の町に、活気と景気を盛り上げようと、役者たちによる盆踊りを挙行して成功した、と書いています。
              > 続き
              気になる人々 続-大塩平八郎〜三代目中村仲蔵
              杉さんぼく 2015/10/16 04:49
              1. [165] 天明5年(1834)、大坂の医者らしい穿鑿好きの好事家が書いた「浮き世の有り様」全13巻(日本庶民生活史料集成J巻/1970/三一書房)の中で、大塩平八郎の乱に関しては、天保8年雑記6〜8巻に記載があり、かなりの記述が割かれています。

                今でいえば、大した取材力の筆走りです。

                第6巻には瓦版の写しがかなりの枚数を費やしていますから、瓦版はずいぶん出たのかも  ・・・・ >> 続き
                気になる人々 続-大塩平八郎〜浮き世の有り様
                杉さんぼく 2015/10/16 04:55
        2. [205] 高知の北東は薊野真宗寺山にある岡田家墓地に、岡田宜振(タカノブ)とあるのが以蔵の墓です。(あの有名な沢田マンションの横からも登れた)

          仲人まがいの世話好き好人物だった、とされる父義平の代に高知に出てきたようで、その以前は岡田家の墓もある神通寺村(香美市)に住んでいました。(未見)
          いわゆる、黒岩某から郷士株を買った譲受(ゆずりうけ)郷士でした。

          > 続き
          気になる人々 岡田宜振(以蔵の弟)
          杉さんぼく 2015/12/01 08:36