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杉さんぼく
その一例に清河八郎の話をします。
この清河八郎が安政2年、母親他を伴って京都を始め伊勢や金毘羅、岩国等を廻った日記「西遊草」を残しています。
むろん大坂にも泊っています。
しかし、清河八郎なら大塩平八郎事件に興味持ちそうと思うのに、各地では旧跡に興味を示しながらも大塩事件遺跡には全く触れていません。
「心斎橋通は大坂第一にぎはひの町にて、夜店のにぎはひをびただし…中の芝居にいたる。四、五町先の道頓堀にあり…狂言も至て手抜多く、さらに見る事もなけれども、やはり面白く遊覧せしとぞ…大坂の芝居は江戸にひとしき事のよしゆへ…今日のみにあらぬゆへ、またみるべき折もあらん…」(安政2年5月30日=1855/7/13金)
江戸時代の娯楽は、やはり芝居や狂言、浄瑠璃等が主流でしたから、大塩事件もそうした演目、題材で多種多様あればまた違ったかも知れません。
歴史の事実と嘘と虚構の、面白き虚構表現伝播恐るべし…。
「…相変わらず不景気と見へ、昔日の大坂にはあらざれども、三都の事ゆへ、所によりにぎわひはかわらざるなり。されども町人の地にて、武士気のもののあるまじき所なり。此又自然の勢ひなり」(安政2年5月30日=1855/7/13金)
参考=西遊草(岩波文庫 小山松勝一郎校注1993)
2015/10/16 Fri 04:46 [No.163]