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杉さんぼく
山国隊、藤野齋と千葉重太郎について触れます。
それは明治元年11月に始まります。
山国隊が因州藩の属農兵隊という事で、因幡藩江戸屋敷納戸役(金銀.衣服.調度出納)千葉重太郎が、藤野齋を因州裏判所(藩財政)に周旋した間柄により、帰郷に際し、それまでの立て替え金373両の返却督促に千葉重太郎が来ました。
今、帰郷費用を裏判所に借財申請しているとの藤野の弁に、半額でも返金願いたいと千葉が迫ります。
困った藤野は、11月1日河田左久馬に隊費陳情助力を乞いますが、色よい返事なく、11月5日の東京出立まで藤野は金策に奔走する訳です。
隊員不満も募り、河田名義の裏判所借受金50両で隊員をなだめながら、当時の上京していた因幡藩京都留守居役・山田宗平に、書面で500両の借財調達依頼をしました。
とにかく山田宅で待つと、そこに千葉がやって来ました。
そして言うには、裏判所から500両を拙者名義で借り、373両は拙者に返金して貰って、残127両から河田名義の50両を返却すればどうか?と持ちかけました。
ある意味、体のいい千葉の徴収の仕方で、千葉はそこまで、因州藩に関わり合っていたのです。
だからか先年、妹佐那が因州鳥取藩士と婚姻していたという事実が判明しました。
こうした中で、山国隊は11月5日に東京を出立します。
藤野はしかし借財問題で同行出来ません。
その夜、千葉が藤野を訪ねて来ました。
藤野はしかし、再借財、返金の金銭については言い出せず、憤懣は因幡藩京都留守居役山田宗平に向かいます。
翌日、不誠実だからだと、6日深川で宴席に耽る山田を訪ねて藤野は激しく詰問します。
続く
2015/10/06 Tue 06:48 [No.147]