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Woody web
もるげんさん、ご無沙汰してます。
もるげんさんから教えて頂いた我がルーツの上郎幸八翁の銅像写真がインターネットに載っていることに驚きました。
そして、その写真をNetに載せた本人のOishi氏から写真を頂きました。
それも、色んな情報が少しずつ繋がって、結果としては、私に贈られてきたのです。
Oishi氏は、彼の仕事の関係から、あの写真を貰ったのです。写真を譲った人は、翁の銅像を建てた当時の関係者の親戚の方でした。
そのことは、私がHPに載せた台座裏の銅像建立賛成者名列銘板に刻まれていたのです。Oishi氏はHPの写真から、その方の名前を読んでくれたのです。
その前に、私のHPに上郎幸八翁に関するページがあることを見つけてくれて、Oishi氏に教えてくれた人が彼の仕事の関係の商品を買って呉れた人でした。その人は、福井に住んでいたひとですが、今はOishi氏の近くに住んでおられます。その人が、私のHPを見つける原因になったのが、私のHPの中の「金森藩」と言う言葉でした。
「金森藩」は私の故郷の江戸時代の地名でした。その方は福井に居られた頃、「金森藩」に関わる看板を作る仕事をなさったことがあった。その関係で、「金森藩」と言う珍しい名前をNetの中から見つけ出されて、そのHP主宰者である私のことを探し出して、Oishi氏に連絡されたのです。実に数奇な情報の糸を辿って、Oishi氏と私が繋がったのであります。
これも、もるげんさんが、あの銅像写真を見つけて下さったからのことであります。感謝致しております。
Oishi氏から頂いた上郎幸八翁写真は、正しく、私の実家のアルバムに貼られている写真と同じでした。しかし、私の実家の写真はアルバムに貼られた写真ですが、Oishi氏から送られて来た写真は立派な装丁がなされていて、写真の額のような作りも立派で、保護のために薄い和紙のようなもので覆われていました。こうした装丁があったからこそ、Oishi氏が、特別な関心を払われて下さった由縁だと思います。いろいろと上郎幸八翁に関して調べて呉れたのも、ありがたいことだったと思っています。
もるげんさんには報告しなければならないことですから、ご報告差し上げました。多謝。m(__)m
2015/07/04 Sat 18:14 [No.1060]
もるげん
こちらこそご無沙汰です。
いやあ、縁は異なもの味なもの ですねえ。
素晴らしい ルーツ探しです。 パチパチ
わざわざのご報告ありがとうございます。
2015/07/04 Sat 19:05 [No.1061]
Woody web
もるげんさん、ご無沙汰してます。m(_)m
ルーツ資料探しの件ですが、先般、故郷で行われた同窓会で、実家に帰ったところ、座敷の床の間の棚に、古い写真が、どっさり出てきました。
横浜・南区の久保山に立つ吉上山光明寺に姉妹を案内してきましたが、その折に、ご住職にお御堂に飾られている写真に「上郎幸八」翁の写真が飾れていない理由をお聞きしましたら、上郎家さんの方で「『写真が残っていなく、ありません』と言われた」と仰ってました。それで、写真なら私の実家で残っていますと申し上げましたら、「是非ともそのコピーを下さい」と言われましたので、大きく引き伸ばしたものを奉納する予定になりました。
残っていた写真の中には、上郎幸八翁一家が大磯の西小磯の切通で撮られたものがありました。
ルーツ探しは、かなり面白いものが見つかりました。(^ー^)
2015/06/02 Tue 13:58 [No.1052]
Woody web
Guten Morgwn! もるげんさん!(^ー^)
> 我がご先祖様の大正二年の画像ですがこの程度です。
いえいえ、とんでもない!立派な写真でございますね!。
何にもまして保存状態が良いですね。ご先祖さまを、大切になさっておる証拠ですね。
撮った写真館の名前がきちんと残っているのは、良いですね。
昔は、写真と言えば立派な専門職でしたんでしょうね。写真機自体が、今みたいに一般化してないじだいだから、かなり高価なものだったんでしょうね。それで職業となった時代だったんでしょうね。
拝見しますと、撮した場所が「飯塚官舎にて」とありますから、お役人さんでいらっしゃった訳ですね。
真ん中に立っておられる御子息さまが、もるげんさんのお父上さまですよね。
時代を感じさせる、良いお写真を見せて頂きました。m(__)m
2015/06/03 Wed 11:55 [No.1054]
Woody web
>
> いえ、母の兄で 残念ながら幼児のとき、早世してしまいました。
それは、それは、失礼しました。昔は、医療が進んでいませんからね。
ところで、お写真を拝見しますと、お祖母さまの着物の柄に色がついているように見えます。また、庭の花や、背景の空に色が見えます。
カラー写真ではありませんですよね。一時代に、白黒写真に薄く絵の具を塗ることがあったようですが、それでしょうか?
それとも、私の、気の所為でしょうかね?
話は、上郎幸八翁の写真ですが、実は私の父親にそっくりの顔立ちです。子供の頃から、この写真は私の父親の写真かと思っておりました。私の父と上郎幸八翁の関係は、翁から見れば妹の孫でありますから、似ていて当然ですよね。私もこの顔のDNAを持っているようで、少し似ています。わが兄妹の中には、この幸八翁似のDNAの濃い顔の者と、そうでない顔とに分かれます。(^ー^)
一代毎に他の血統が交わる訳ですから、どんどん顔も変って行くんでしょうね。血の繋がりとは、長い川の流れのようですね。水は元の川の流れではありませんが、流れには、必ず元の水も構成しているんでしょうね。
2015/06/03 Wed 16:14 [No.1056]
>ところで、お写真を拝見しますと、お祖母さまの着物の柄に色がついているように見えます。
>また、庭の花や、背景の空に色が見えます。カラー写真ではありませんですよね。
>一時代に、白黒写真に薄く絵の具を塗ることがあったようですが、それでしょうか?
経年変化でまだら状に模様らしきものに見えてると思います。
以前にご紹介したかと思いますが 祖母たちの集団写真(明治39(1906)年3月)を再掲しますが、当時の焼付け技術では1世紀ちょっと経つといろんな変化が現れるようですね。
>上郎幸八翁の写真ですが、実は私の父親にそっくりの顔立ちです。私もこの顔のDNAを持っているようで、少し似ています。
>わが兄妹の中には、この幸八翁似のDNAの濃い顔の者と、そうでない顔とに分かれます。(^ー^)
ふむふむ。
なお、前列右端が祖母です。二代(隔世遺伝)前で似ると言われますが・・・ これでは小さくてよく判らないですね。
2015/06/03 Wed 17:24 [No.1057]
Woody web
出てきた写真は名前を付けて、デジタルデータにして仕舞って置こうと思います。昔なら、墨で横へ書いておくことしかありませんでしたが、こうして置けば、大切な情報が無くなることはないと思っています。
それにしても、写真の傷みが激しく、保存状態が、あまり良くありませんでした。横浜の写真館の撮ったものです。
2015/06/04 Thu 15:45 [No.1058]
Woody web
もるげんさん、こんにちわ!(^ー^)
横浜の港にも咲いていましたね。
平塚にも咲いていました。
そこで、一句!
オランダの
風を運ぶや
チューリップ
お粗末でした!(^ー^)
2015/04/09 Thu 17:27 [No.1050]
Woody
もるげんさん、おはようございます!
Topの写真、霙(みぞれ)の中に、寂しそうな、凍えそうな、柚ですね。
季節感いっぱいの絵でございますね。そこで一句詠みました。
取り残し 柚ひとつだけ みぞれ中 独活(Woody)詠
2015/01/30 Fri 10:21 [No.1041]
Woody web
もるげんさん、今日は湯河原までご一緒できて、ありがとうございました。m(__)m
お天気が良くて、梅の咲き具合も良くて、良い梅見ができました。
真鶴港でのお昼も美味しかったですね。
道路もさしては混まず、ご苦労様でした。
お世話になりました。ダンケシェーン!
2015/03/02 Mon 17:24 [No.1046]
Woody web
もるげんさん、こんばんわ!(^ー^)
工事が遅れていました圏央道の海老名JCT〜寒川北IC間が3月8日に開通することになりました。
厚木を経ずに圏央道を北た東名を東へ行くことができて、便利になります。私は新百合ケ丘へ行くのも早くなりそうです。(^ー^)
2015/02/12 Thu 18:21 [No.1043]
Woody web
もるげんさん こんにちは(^ー^)
R134の4車線化がようやく出来ました。
少しは渋滞緩和に役立ちそうですね。
これよりも、東名と圏央道の海老名JCTの渋滞が心配です。
圏央道が南北につながっても、この欠陥は改修されるんでしょうかね?
道路の設計にミスがあるんじゃないでしょぷかね?
2015/02/27 Fri 11:44 [No.1045]
Woody web
もるげんさん! 良い風景ですねぇ!
柚がたわわになっていますね!美味しそうですね。
欲しいですね!ヽ(●´ε`●)ノ ホスィ 「柚、ゆずって?」(^ー^)
昨年暮れには、柚風呂にはいりましたでしょうね?良い香りいっぱいしました。
柚の茶碗蒸しも良いですよね。我が家は実のなる木は梅だけです。
2015/01/13 Tue 16:39 [No.1038]
もるげん
Woodyさん こんばんは。
隔年で結実する 本柚子、柿の代替として移植してから、今年はこの5年で一番の豊作です。
本柚子は種から育てる実生栽培では気の遠くなるほどの長い時間がかかるそうですが、(「桃栗3年、柿8年、柚子のばかやろう18年」)、我が家はすでに結実した本柚子を移植したので、隔年で結実してます。
なお、一般には"花ユズ"がよく見かけられますが 大きさは花ユズが約5cm、本ユズは約8cmと本柚子に比して小ぶりです。
我が家では 1月20日を期して収穫し、ユズジャムを作ってます。
http://morgen3.fc2web.com/engei/honyuzu.htm
結構いけますよ。
2015/01/14 Wed 20:07 [No.1040]
Woody web
もるげんさん、おはようございます!(^ー^)
昨日は、晴れたので、横浜市南区にある吉上山(きちじょうざん)光明寺と言う寺に参拝しました。
このお寺は、山号に「吉上山(きちじょうざん)」とありますように、吉田健三氏(吉田茂首相の養父)の一字と、上郎幸八(こうろこうはち)の一字をとって付けた名前で、この2名が建立した寺です。
この二人は越前の出身で、盟友でした。共に同じ姉妹を妻に迎えています。一方、この上郎幸八氏は私の実家の隣に生まれてます。私の曾祖母は,上郎幸八の妹であります。そんな訳で、縁があった訳ですので、一度訪ねてみたいと思っていた場所ですので、昨日出かけてみました。
JR保土ヶ谷駅から登った山の上のお寺でした。浄土宗ですから、「光明寺」と言う名前でした。法然上人のおしえですから、光明寺なんですね。京都・金戒光明寺も、西山光明寺も、同じ法然上人のお寺ですね。
「上郎幸八」なる人物に関しては、ネットには多くかかれていません。私の故郷の神社では、銅像が立っていたそうですが、戦争時に金属供出で持って行かれて、台座しか残っていませんでした。郷里の村史には載っていそうなんで、今度調べてみます。
兎に角、事業に成功し、横浜や藤沢には、多くの資産があったそうです。
2014/12/03 Wed 10:52 [No.1035]
Woodyさん、こんばんは。
年の瀬?になり、なにかと野暮用で走り回ってます。
>この上郎幸八氏は私の実家の隣に生まれてます。私の曾祖母は,上郎幸八の妹であります。
> 「上郎幸八」なる人物
「上郎幸八氏」はご親戚になるわけですね。ネットで調べてみましたら面白いのが出てきました。
もう、ご覧になってるかも知れませんが
Joe Pass Memorial Hall 日本語ページ
http://blog.goo.ne.jp/passalaqua/e/c9dbe6323c63b2b6afe1659af33a779c
「1枚の写真」#1〜#7
の中に↑の写真がありました。
略歴:越後南條郡の人 元治年間横浜に出て営々刻苦三十余年今日の富重ね基本業は貸金なり 目下長子新二氏に家政を委ね悠々大磯に閑居す。
と読めますが 越後南條郡は越前南條郡の誤記でしょうね。
興味深い話ですネエ。 ルーツを掘り下げられては如何ですか?
2014/12/05 Fri 20:26 [No.1036]
Woody web
もるげんさん、写真をよくぞ見つけて頂きました!
http://blog.goo.ne.jp/passalaqua/e/c9dbe6323c63b2b6afe1659af33a779c
> 「1枚の写真」#1〜#7
> 略歴:越後南條郡の人 元治年間横浜に出て営々刻苦三十余年今日の富重ね基本業は貸金なり 目下長子新二氏に家政を委ね悠々大磯に閑居す。
> と読めますが 越後南條郡は越前南條郡の誤記でしょうね。
はい、読みました。
郷里の兄に、聞きました。
「上郎幸八」自身の銅像完成式の写真で、昭和の初め頃の写真だそうです。
写真中央の上郎幸八氏と前に座り込んでいるおばぁさんは、幸八氏の妹で、我が曾祖母の小林(旧姓上郎)美多です。
私は我が実家のアルバムでしか見たことがありません風景です。我が郷里の福井県越前市白崎町(旧 南條郡王子保村白崎)の斗布(とうふ)神社での写真です。神社には、今でも銅像の無い、台座だけが残っています。戦時中の金属供出命令により、持って行かれたものですね。お寺の鐘は供出を免れたのでしょうが、こうしたものは持って行かれましたんですね。
上郎幸八氏は金貸業とありますが、銀行業みたいなものだったのでしょうね。
貴族院議員だったらしい。
2014/12/07 Sun 11:16 [No.1037]