Net4u レンタル掲示板を作る
Woody web
> 金沢人の気風について(その2)
>
> ふるさとは/遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの/よしや/うらぶれて/異土の乞食となるとても/帰るところにあるまじや
>
> 件の先輩曰く
> この詩の作者である金沢出身の室生犀星は、「乞食になっても故郷に帰りたいとは思わない、故郷は遠くにありて(近づく事を避けて)思うもの(懐かしさを独り心の中にしまっておくだけだ)」と詠んでいる。
>
> これは犀星の個人的な苦痛を、さらに助長するような土地の気風が、その基盤として確かにあるようだと感じている。 それは、金沢の人がその出身地を離れると、帰って来た時は他所者(よそもの)扱いされ、地域社会から心を開いて受入れて貰えない、という閉鎖的な気風である。
> と・・・・・・・・
>
> 私は無条件に故郷を懐しんだ詩だと思っていましたが・・・・・
もるげんさん、おはようございます!(^-^)
いやはや、実は、昨日、Win10の誘い込みの案内に、無意識に触れたのか、Win10への更新が急に始まって、丸一日パソコンに触れないままでした。
つい、さきほど、更新が完了して、Win10で書き込みをしているところです。
全くもって、時間の掛かる更新でした。カーナビのSD更新も半日掛かりましたが、全く難しいことが、これからは多くなるんでしょうね。
Win10で、いかなる不都合が出て来るのか、心配がのこります。
Win8.1のパソコンに更新した時に苦労したことが、トラウマになっています。とにかく、今まで使っていたソフトが使えなくなるのが困りものですね。
Canonの写真DPEソフトもようやく使い方に慣れ始めたばかりですからね。
ところで、難しい「金沢人論」ですね。さもあろうかと思います。
と言うか、北陸の人間に多い性格かも知れませんね。まぁあ、長い冬の雪に閉ざされている時間に、耐え固まってしまうところがあるんでしょうかね。
春になって、雪が高い山の頭にだけしか見えなくなる時の喜びは、雪国に育つ人間の最大の喜びなんです。
もっとも、最近は温暖化で、その風景も変わりつつあると思いますけどね。
ご意見、ご投稿、ありがとうございます。m(__)m
2016/05/22 Sun 06:29 [No.1604]
もるげん
Woodyさん、今晩は。
加賀(金沢)人の気風について、しばらく金沢に在住した先輩から聞いたことがあります。
先輩曰く
金沢の人がその出身地を離れると、帰って来た時は他所者扱いされ、地域社会から心を開いて受入れて貰えない、という閉鎖的な気風である。
「一旦家を離れれば長男でも赤の他人」という言葉さえあり、とくに家を継ぐ長男は、修業のためであっても故郷を離れるのを嫌う。 この空気は金沢に限らず、地方では何処にもあるようだが金沢は極端なように思う。
さらにその原因は次のように考えられる。 「難しい事は言うな、南無阿弥陀仏と唱えさえすれば極楽往生間違い無し」という単純な考え方の風土があり、それが戦国時代に「百姓の持ちたる国」を造った。 またそのため為政者の弾圧が繰返された。 江戸時代には幕府に弱みを握られまいと、国中が結束せざるを得なかった。 この歴史的背景が、他国者や他所から赴任した為政者に対してだけでなく、他国に出て帰った身内にも気を許さない気風を育てたようだ。
と
貴兄はどのように感じられました?
2016/05/21 Sat 19:41 [No.1602]
Woody web
> 金沢の犀川の西側の岸辺に、雨宝院(高野山真言宗)と言う寺がある。
金沢には二つの川が流れている。一つは東の浅ノ川、もう一つが西の犀川である。西は、片町や香林坊が近い。
2016/05/20 Fri 15:15 [No.1600]
Woody web
泊まったホテルは、女社長で有名な金沢本社のホテル。
やはり、外国からの旅行者(中国人だった)で満杯。
予約を早めに採ったから、泊まれた。
2016/05/15 Sun 19:47 [No.1598]
Woody web
加賀と越中の一向一揆の歴史跡を訪ねてみました。
加賀(現・石川県)は、隣の越前(現・福井県)や越中(現・富山県)と共に、「越の国」でしたが、一向一揆で一揆側が勝ち、富樫守護を滅ぼしました。それで、加賀の国は「百姓の国」となり「越の国」ではなくなったのであります。
金沢市街の南端に富樫正親守護が根拠地としていた高尾城がありました。現状では、城郭等はなく、土塁跡だけが残っています。そこからは、金沢市内や加賀平野が一望できます。一向一揆勢に追い詰められて、ここで自刃したのであります。
金沢で寮生活を同じくした仲間と寮の近くのホテルに泊まり、昔の街を懐かしんで歩いて、一夜を更かて飲みました。
昔の、町並みは大きく変わっていました。飲み食いした店はなく、50年もの時間を感じました。ただ、50年も喫茶店はひとつだけ残っていました。町には市内電車はなく、バイパスが大きく中心街を囲んでいました。
泊まったホテルは、11階立てで、当時の風景では考えられない風景でした。金沢の街は、古くて、戦争にも遭ってませんから、変わるところと変わらないところの変化が著しいところも多い。
2016/05/15 Sun 16:55 [No.1597]
Woody web
> 「4月から8月頃、日本海沿岸に吹く北または東からの風」のことで、大伴家持が詠んだ歌に出てくる言葉だとのことだ。
そこで、一句!
「 あいの風家持不知親不知 」(あいのかぜやかもちしらずおやしらず)
2016/05/10 Tue 09:01 [No.1596]