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  1. [49] のんた撲斎氏の投稿にエラーが出ましたので、代理で投稿致します。
    以下↓、
    7月21日に出版社へメール
    貴社の刊行城○○彦氏著
    吉田松陰『留魂録』
    P233
    安政の大獄では、以下の七名が安政六年に処刑された。
    鵜飼幸吉八月二十七日獄門
    鵜飼吉左衛門八月二十七日斬首
    茅根伊予之介八月二十七日斬首
    飯泉喜  ・・・・ >> 続き
    大河ドラマ『花燃ゆ』便乗書籍に遺憾
    京都歴史研究会代表 2015/07/23 16:10
    1. [50] 出版社からの返信メール
      本日、7月23日

      水戸史学会
      のんた樸斎様

      おはようございます。
      致○出版社編集部の○○○○でございます。

      昨日、『吉田松陰「留魂録」』の著者・城○○彦先生に
      のんた樸斉様からのご質問内容を転送し、今朝、下記のご返信が届きました。

      城○先生から直接  ・・・・ >> 続き
      Re: 大河ドラマ『花燃ゆ』便乗書籍に遺憾
      のんた樸斎 2015/07/23 19:27
      1. [51] 著者からの返信メール
        本日、7月23日

        のんた樸斎 さま

         拙著をお読みいただき、ありがたく御礼申し上げます。

         「吉田松陰『留魂録』」の内容に関し、
         丁重なご指摘・ご意見を賜り、ありがとうございました。

         編集担当者が不在だったこともあり、
         版元が不適切な対応をした由、本日、  ・・・・ >> 続き
        Re^2: 大河ドラマ『花燃ゆ』便乗書籍に遺憾
        のんた樸斎 2015/07/23 19:35
        1. [53] 珍しい対応ですね。

          やはり肩書きが効いたのでしょうか。

          最近、やっと萬延元年が安政7年とされる表記がなされました。

          知識を対価に替えて知らしめる側が、きちんとしなければなりません。

          罪科については、解釈が幕法と各藩法典例に若干の違いもあります。

          普通、500石以上なら斬罪(成敗)となるとこ  ・・・・ >> 続き
          水戸史学会の肩書きに弱かった出版社
          奥津希多世ママ 2015/07/24 07:21
          1. [56] のんた撲斎氏の
            返信にエラーが出ましたので、代わりにコピーで返信します。↓

            奥津希多世ママ様
            肩書きは一応ありますが
            史学会に在籍する前も不具合等を発見したら出版社、著者ともやりとりしてました。
            自分は出版社へメールの他に必ず電話をします。電話相手の編集担当者が不相応と感じたら、上司に替わって貰い、主任、編集長等とコンコンと話した上で  ・・・・ >> 続き
            Re: 水戸史学会の肩書きに弱かった出版社
            京都歴史研究会代表 2015/07/24 17:49
    2. [55] そうですね、士分の家老に斬罪は御定法違背ですから、500石以上扱いの切腹でしょう。

      ものの本には、安島帯刀は自刃した、ともありますが。

      刑罰を決めるのに、御仕置例類集という江戸時代立法史料があり、その中に民法・刑法罰「御定書百箇条」(公事方御定書)をも参考にすべきとの一文が記されています。

      その御定書百箇条にある刑罰には、士分閏刑と  ・・・・ >> 続き
      切腹と斬罪
      伊三 2015/07/24 13:18
      1. [57] のんた撲斎サンの返信にエラーが出ましたので、以下、
        代わりに貼り付けます。


        幕末政治論集 ・日本思想大系岩波書店(1976年4月30日 第1刷発行)
        塩谷世弘意見書(万延元年閏三月)
        (中略)
        一、権現様は、上杉浪人車丹波上仰を窺坐候ても、露顕の一命御助候巳に無之、迄食頭被仰付格別の大量、凡慮の及処に非ずと候得ば、火付盗  ・・・・ >> 続き
        Re: 切腹と斬罪
        京都歴史研究会代表 2015/07/25 20:49
        1. [58] なかなか盛り上がりますね。

          そこで、では、と…。

          介錯人并出役姓名を記します。

          石谷因幡守組同心-介錯人
          瀧田五十五郎 未三十一歳

          介添錯
          松原新吾 未廿四歳

          池田播磨守組同心-同
          後藤徳次郎 未四十二歳

          石谷因幡守組与力-検使出役> 続き
          Re^2: 切腹と斬罪
          杉さんぼく 2015/07/25 23:46
    3. [68] 維新と言えば、明治維新を想定してしまいますが、慶応4年(1868)9月7日の夜、いくつかの候補に挙がった元号の中から、天皇が引いたくじから「明治」が選ばれたと伝わります。

      まあ、そんな事はないにもせよ、その選ばれた明治。

      「聖人南面して、天下を聴き、明に嚮いて治む」(易経)

      これは「周雖旧邦其命維新」(詩経・大雅文王)という中国の天  ・・・・ >> 続き
      大河ドラマ『花燃ゆ』に維新は語れない
      杉さんぼく 2015/07/28 10:16

[ 編集 ][ 返信 ]大河ドラマ『花燃ゆ』便乗書籍に遺憾

京都歴史研究会代表

のんた撲斎氏の投稿にエラーが出ましたので、代理で投稿致します。
以下↓、
7月21日に出版社へメール
貴社の刊行城○○彦氏著
吉田松陰『留魂録』
P233
安政の大獄では、以下の七名が安政六年に処刑された。
鵜飼幸吉八月二十七日獄門
鵜飼吉左衛門八月二十七日斬首
茅根伊予之介八月二十七日斬首
飯泉喜内十月七日斬首
橋本左内十月七日斬首
頼三樹三郎十月七日斬首
吉田松陰十月二十七日斬首
記載されてますが、八名の間違いです。

水戸藩家老の安島帯刀が幕命で切腹というかたちで処刑されてます。
処刑とは刑に服するという意味です。
『水戸藩末史料』
〇水戸藩安島帯刀處置の件
(中略)
水藩安島帯刀始各藩の有志處置せられる件
未八月廿七日有志者御處置
安政の大獄の處置なり
水戸藩
水戸家老 切腹 安島帯刀
死罪 茅根伊豫介
死罪 鵜飼吉左衛門
獄門 鵜飼幸吉
以下は省略します。
P263
○一八六○(万延一)年二月
松陰没後百ヶ日法要
P264
三月
桜田門外の変

記載されてますが、これも誤りです。
一八六○年の三月十七日までは、正確には安政七年です。
翌日、三月十八日に万延と改元します。
私が虚言を発しているわけではありません。
まず、元号については貴社でも発行書籍としてあるかも知れませんが
私の所持本として
所功著
『年号の歴史』〈増補版〉雄山閣出版(平成8年3月20日発行)
米田雄介編
『歴代天皇年号事典』吉川弘文館
(平成25年4月20日、第9刷発行)
両氏が共に安政七年三月十八日に改元と記載があります。
指摘した元号(万延)への移り変わりは歴史研究家でさえも、多少なりとも誤記する方もおるようです。
元号の概念を理解した上で安政七年と表記している歴史研究家も勿論、おります。○○○○氏、○○○○○氏等
また、安島帯刀の切腹という史実については幕末に長けている方なら周知のことです。
水戸史学会
のんた樸斎

2015/07/23 Thu 16:10 [No.49]

[ 編集 ][ 返信 ]Re: 大河ドラマ『花燃ゆ』便乗書籍に遺憾

のんた樸斎

出版社からの返信メール
本日、7月23日

水戸史学会
のんた樸斎様

おはようございます。
致○出版社編集部の○○○○でございます。

昨日、『吉田松陰「留魂録」』の著者・城○○彦先生に
のんた樸斉様からのご質問内容を転送し、今朝、下記のご返信が届きました。

城○先生から直接、のんた樸斎様宛てに感謝の意も込めて
別途、ご返信させていただきたい、アドレスを教えてほしい、とのことでしたので、
のんた樸斎様のアドレスをお伝えしてあります。

また、取り急ぎ、今回は下記のメールを送っていただきたいとのことでしたので、
転送させていただきます。

ご査収を賜りますよう、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

致○出版社 書籍編集部 ○○○○

水戸史学会
のんた樸斎様

◇ご質問の件

このたびは、拙著をご精読賜り、御礼申し上げます。
版元を経由してご質問いただき、ありがとうございました。
以下に、執筆時のことなどをお伝えする次第です。

◆元号については、昭和と平成が変わった時代を知っている
人間として、決して軽く考えて書いてはおりませんが、
ご指摘のような誤解を読んでいただいた方に与えてしまった
とすれば、お詫びするしかありません。

今回、知り合いの編集者の依頼で、他社から出版される
天皇家の本の執筆にかかわりました(ただし、
名前はだしておりません)が、改元については、
古代天皇から今日に至るまで、そのつど悩みました。
できれば、何月何日改元ときちんと書くべきですが、
昭和のように年明け早々に年号が変わる年もあれば、
12月になって変わった年もあり、ややこしいことこの上なく、
紙面の制約上、そうできないこともしばしばです。

改元があった年の年号は文献によってまちまちなので、
松陰本でも、そのつどチェックはしたつもりですが、
紙面の都合上、割愛されるケースが多く見られます。

そういう問題もあるにしろ、今回のご指摘を受け、
今後は重々、気を配りたいと思います、

◇私は「斬首=首を切られた=処刑」として表現したのが、
誤解を招くことになったようです。
しばり首(絞首刑)も含めて「処刑」と現代風に表現したのですが、
改めて考えてみると、現代では「処刑=死刑」ですが、
日本語とみると「刑に処す」と読め、
入牢、遠島も含まれかねない広範な刑のニュアンスが感じられ、
曖昧な日本語ではあります。

のんた樸斎さんが引用している『水戸藩末史料』にもあるように、
「死罪」という罪名もあり、執筆時は、
「斬首」とするか「処刑」とするか「死刑」とするかなど、
ずいぶん悩んだ末に「処刑」としたのですが、
当時は、「処刑」を「刑に処す」と読まれるかもしれない
というところまで深く考えることはなく、
現代語的な意味の処刑として使ってしまいました。

「斬首」とすべきだったかもしれません。
そうしておけば、誤解を生じることもなかったわけで、
以後はそのようにしたいと思います。

「切腹」には処刑によるものと自害によるものがあるので、
これも難しい表現になります。
「斬首」は自分の手ではやらず、司直の手による処刑であり、
切腹には自害もあるので、これもずいぶん迷いました。
きちんと分けて書いた方が明確で、親切かもしれません。

処刑関連では、
「獄門」については、処刑の後、さらし首となるので、
斬首とする書き方も間違いではないと考えたことも、
しばしばです。

いずれにしろ、ご指摘を真摯に受け止め、
今後の執筆の糧としたいと思います。

城○○彦

以上、城○先生からのメールでございます。
なにとぞよろしくお願い申し上げます。

〜 「人間学」を探究して36年 〜
===================================================
株式会社 致○出版社

書籍編集部 ○○○○
===================================================

2015/07/23 Thu 19:27 [No.50]

[ 編集 ][ 返信 ]Re^2: 大河ドラマ『花燃ゆ』便乗書籍に遺憾

のんた樸斎

著者からの返信メール
本日、7月23日

のんた樸斎 さま

 拙著をお読みいただき、ありがたく御礼申し上げます。

 「吉田松陰『留魂録』」の内容に関し、
 丁重なご指摘・ご意見を賜り、ありがとうございました。

 編集担当者が不在だったこともあり、
 版元が不適切な対応をした由、本日、
 編集担当者から連絡を受けたので、
 苦情を呈しておきておきました。

 私は前々から、読者の方々から手紙や
 メールがあったときは、私が直接やりとりする
 ので、知らせてほしいとといってあるのですが、
 なかなか、そうしない版元や編集プロダクションが
 増えています。

 今回は、これまでの経緯から、私の見解を
 のんた樸斉さんに転送してもらうよう依頼しました。

 ご質問・ご指摘の件については、そこに
 記させていただきましたので、お目通しください。

 私は、ある月刊誌に「危機管理」をテーマに
 2年以上も連載しており、いずれ、
 単行本化する予定でいますが、本件に関しては、
 メールのやりとりから察するに、
 のんた樸斎さんからの指摘に関する応対姿勢に問題が
 あった節も感じられます。
 つまり、版元の対応は危機管理に失敗したわけで、
 紺屋の白袴のたぐいであり、恐縮至極です。

 今般は、いろいろ貴重なご教示を賜り、
 今後の執筆に活かしていく所存です。

 暑さ厳しい折から、ご自愛くださいますように。

城○○彦
〒○○○−○○○○横浜市○○○○○○○○○○○

2015/07/23 Thu 19:35 [No.51]

[ 編集 ][ 返信 ]水戸史学会の肩書きに弱かった出版社

奥津希多世ママ mail

珍しい対応ですね。

やはり肩書きが効いたのでしょうか。

最近、やっと萬延元年が安政7年とされる表記がなされました。

知識を対価に替えて知らしめる側が、きちんとしなければなりません。

罪科については、解釈が幕法と各藩法典例に若干の違いもあります。

普通、500石以上なら斬罪(成敗)となるところ、名誉を重んじて切腹を命ぜられたのです。(たまたま備前典例/法例集をしらべていたら、そうありました)

だから、松陰や左内が石高の高い武士なら切腹となった筈でしょうが、直弼の各式重用により斬罪刑となった訳です。

2015/07/24 Fri 07:21 [No.53]

[ 編集 ][ 返信 ]Re: 水戸史学会の肩書きに弱かった出版社

京都歴史研究会代表

のんた撲斎氏の
返信にエラーが出ましたので、代わりにコピーで返信します。↓

奥津希多世ママ様
肩書きは一応ありますが
史学会に在籍する前も不具合等を発見したら出版社、著者ともやりとりしてました。
自分は出版社へメールの他に必ず電話をします。電話相手の編集担当者が不相応と感じたら、上司に替わって貰い、主任、編集長等とコンコンと話した上で、不適当なまま未回答だと、ネット上で叩くぞ!と、半ば恫喝ですが。
それを恐れてか、おおよそは回答を貰えてます。
いつも、こんな感じで出版社とやりとりしてます。
余談でしたが…

2015/07/24 Fri 17:49 [No.56]

[ 編集 ][ 返信 ]切腹と斬罪

伊三

そうですね、士分の家老に斬罪は御定法違背ですから、500石以上扱いの切腹でしょう。

ものの本には、安島帯刀は自刃した、ともありますが。

刑罰を決めるのに、御仕置例類集という江戸時代立法史料があり、その中に民法・刑法罰「御定書百箇条」(公事方御定書)をも参考にすべきとの一文が記されています。

その御定書百箇条にある刑罰には、士分閏刑として逼塞、閉門、蟄居、改易、預(あずけ)、切腹、斬罪があります。

そして、死刑には下手人、死罪、火罪、獄門、磔、鋸挽の種類があり、下手人は死罪同様の絞首刑であるにもせよ、埋葬が許され、斬首後は死骸を片づけてよい恩典がついていました。

松陰の遺骸もこの恩典があってか、松下村塾生によって引き取られています。

前述の中で言えば、切腹より斬罪の方が重罪に価し、国事犯は概ね斬罪に処せられ、その罪に条理あるとか、武士としての本分を保たれれば、切腹とされました。

武士犯罪の性格上、その区別があったのではないでしょうか。

斬罪は小塚原執行が主でしたが、幕末維新期には牢屋鋪で処刑、小伝馬町では桜田門外事件の水戸浪士たちが処されています。

切腹は即日、斬罪は翌日執行でした。

それにしても、安政の大獄とは言え、刑死、斬罪、獄門死8人(死価にはない罪科、自殺、病死も含め計79人、他大名、公家処罰は計21人)しかいない点からすれば、天狗党事件353人斬殺の方がもっと酷いかも知れませんね。

2015/07/24 Fri 13:18 [No.55]

[ 編集 ][ 返信 ]Re: 切腹と斬罪

京都歴史研究会代表

のんた撲斎サンの返信にエラーが出ましたので、以下、
代わりに貼り付けます。


幕末政治論集 ・日本思想大系岩波書店(1976年4月30日 第1刷発行)
塩谷世弘意見書(万延元年閏三月)
(中略)
一、権現様は、上杉浪人車丹波上仰を窺坐候ても、露顕の一命御助候巳に無之、迄食頭被仰付格別の大量、凡慮の及処に非ずと候得ば、火付盗賊の類いの極悪人と違ひ、其主人に忠義有之者に候得ば、法外の意にて御仁心可有之御義と奉存候。

扨水戸様御家来安島帯刀、茅根伊予之助、越前様家来橋本左内は、世上に称し候程の者にて、主人には忠義に相違無之候間、大法にて御処置被仰付候様にも御仁心被為在度義と奉存候。

然る処、帯刀切腹被仰付候とは乍申、"牢屋にて"非人首を打候由に御座候得ば、打首同様の御刑戮に相成候由。元来御仕置付は三奉行様より御伺に相成、御老中様より二三等も軽く御指図御座候由承及申候。

然る処、帯刀等御仕置に限り、御奉行様より御奉行様より御伺に相成候処、二三等も罪重く御指図御座候由。右様私意を以て御法を御枉被成候ては、服筈に御坐候。

依之、帯刀御処置一件に付、
遠島・追放・押込に相成候者共、二三等も御処置御宥免に相成候様有之度存候。

脚注
※"牢屋にて"…小伝馬町牢内での切腹には牢屋同心が介錯を勤めた。非人が首を打つとあるのは誤り。死罪も同様。
【水戸藩史料・上坤】からの引用

2015/07/25 Sat 20:49 [No.57]

[ 編集 ][ 返信 ]Re^2: 切腹と斬罪

杉さんぼく

なかなか盛り上がりますね。

そこで、では、と…。

介錯人并出役姓名を記します。

石谷因幡守組同心-介錯人
瀧田五十五郎 未三十一歳

介添錯
松原新吾 未廿四歳

池田播磨守組同心-同
後藤徳次郎 未四十二歳

石谷因幡守組与力-検使出役
磯貝鋭次郎

同組同心
弐人

池田播磨守組同心-同
安嶋初太郎

同同組同心
弐人

御徒目付
山本新次郎

御小人目付
壱人

御使之もの
壱人

首討役并出役姓名

石谷因幡守組同心-首討役
篠崎孝助
未廿四歳

村田喜三郎
未三十歳

池田播磨守組同心-同
日向野兵市
未三十歳

諸岡初五郎
未廿八歳

石谷因幡守組与力-検使出役
中村為五郎

同組同心
三人

池田播磨守組与力-同
中田潤之助

同組同心
三人

御小人目付
弐人
(公用秘録-井伊家本2007)

2015/07/25 Sat 23:46 [No.58]

[ 編集 ][ 返信 ]大河ドラマ『花燃ゆ』に維新は語れない

杉さんぼく

維新と言えば、明治維新を想定してしまいますが、慶応4年(1868)9月7日の夜、いくつかの候補に挙がった元号の中から、天皇が引いたくじから「明治」が選ばれたと伝わります。

まあ、そんな事はないにもせよ、その選ばれた明治。

「聖人南面して、天下を聴き、明に嚮いて治む」(易経)

これは「周雖旧邦其命維新」(詩経・大雅文王)という中国の天命思想に繋がります。

「維レ新タナリ」
「維ヨリ新タニス」

明治維新は皇統化した皇国維新概念です。
維新、「君之視民如赤子、民之視君如父母」(神祗志)、「義乃君臣、情兼父子」(雄略天皇遺詔)という、皇室と国民との関係樹立するための、公議朝廷政権題目に過ぎません。

皇室天皇に帰一する家族国家理念での維新とは、大教宣布の明治3年(1870)の詔で、「百度維新、宜しく冶教を明らかにし、以て惟神の道を宣揚すべし」と、[維新][冶教][明らか]と明治維新の語源を説明しました。

でもです、当時の民衆は(明治)維新とは何ぞや、「ご一新」じゃあないのかと、「維レ新タナリ」の意味が判らなかったようです。

まさに、島崎籐村の小説「夜明け前」に言う、青山半蔵の「ご一新とは何だったのか」の何ものでもありません。
下々では、朝廷を「天朝」、徳川将軍を「公方」や「旧幕時代」と言っていたのですから。

果たして、「君、民を視る赤子の如し」「民、君を視る父母の如し」を強いて、維新、維新の題目で、「天子南面す」のごとく、魑魅魍魎が世の中に怪しく南面しようとしているのでありましょうや?の現代の歴史。

そして面白くもなんともない視聴率が下がるばかりの維新ドラマ、それが維新のありようとは、笑止千万の何ものでもありますまいて。

2015/07/28 Tue 10:16 [No.68]