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切腹と斬罪

伊三

そうですね、士分の家老に斬罪は御定法違背ですから、500石以上扱いの切腹でしょう。

ものの本には、安島帯刀は自刃した、ともありますが。

刑罰を決めるのに、御仕置例類集という江戸時代立法史料があり、その中に民法・刑法罰「御定書百箇条」(公事方御定書)をも参考にすべきとの一文が記されています。

その御定書百箇条にある刑罰には、士分閏刑として逼塞、閉門、蟄居、改易、預(あずけ)、切腹、斬罪があります。

そして、死刑には下手人、死罪、火罪、獄門、磔、鋸挽の種類があり、下手人は死罪同様の絞首刑であるにもせよ、埋葬が許され、斬首後は死骸を片づけてよい恩典がついていました。

松陰の遺骸もこの恩典があってか、松下村塾生によって引き取られています。

前述の中で言えば、切腹より斬罪の方が重罪に価し、国事犯は概ね斬罪に処せられ、その罪に条理あるとか、武士としての本分を保たれれば、切腹とされました。

武士犯罪の性格上、その区別があったのではないでしょうか。

斬罪は小塚原執行が主でしたが、幕末維新期には牢屋鋪で処刑、小伝馬町では桜田門外事件の水戸浪士たちが処されています。

切腹は即日、斬罪は翌日執行でした。

それにしても、安政の大獄とは言え、刑死、斬罪、獄門死8人(死価にはない罪科、自殺、病死も含め計79人、他大名、公家処罰は計21人)しかいない点からすれば、天狗党事件353人斬殺の方がもっと酷いかも知れませんね。

2015/07/24 Fri 13:18 [No.55]