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Re: 建立の読みに寄す〜立馬余談
京都歴史研究会・代表
お龍さんは、
おりゅうさん でしたか?
2016/02/05 Fri 22:19
[No.244]
残り1件
[125]
太宰治が坂本龍馬に触れた話があります。
ある友人が突然太宰を訪ねて来た時の事を後に振り返って太宰が言った次の一言。
「あの時は坂本龍馬でも来たのかと思ったよ」
この友人を義母に紹介した折りも次の様に言う。
「僕たちは明治維新の志士くらいの気概はあるんですからね、オッ母サン。坂本龍馬や高杉晋作だってこんなものです ・・・・ >> 続き
龍馬余談
杉さんぼく
2015/09/11 09:56
[126]
30年以上前の11月15日昼のTV「おもいきりテレビ」での放送、「今日は何の日」を記憶されている方はおられるだろうか。
この日は龍馬暗殺デーだったから、昭和初期の坂東妻三郎主演「坂本龍馬」からの暗殺場面ラストシーンが流されました。
この感想をみのもんた司会者が、ゲストコメンテーターの實吉達郎氏(広島出身の動物学者)にコメントを求めました。
> 続き
龍馬惨殺秘話余談
杉さんぼく
2015/09/11 09:58
[127]
土佐藩内抗争についての鳥取藩慶応丁卯雑記資料(慶応3年11月23日挙記-東大資料編纂所)を紹介しておきます。
これにより、倒幕までの藩論統一までいってない事がうかがえます。
「元来、土藩ノ内探索候処、藩士相分レ一途ハ白川組諸浪士相集リ頻リニ暴論の徒ノミ建論増長ニテ、今一途ハ後藤象次郎同意周旋ノ徒ハ、右暴論ノ徒ヲ取鎮メ居候由……梅太郎先月上旬頃、土州ヘ帰入致居候処、北 ・・・・ >> 続き
龍馬惨殺余談
杉さんぼく
2015/09/11 10:03
[146]
東大維新資料編纂所の資料に、鳥取藩丁卯筆記と云うリアルタイムな探索方記述があります。
「…右三人の死骸、神道の式をもって…高台寺の南隣、国阿上人の旧跡霊山山内、村上歳太郎請け持ちの山地に埋葬に相成り、右山地埋葬の場所へ続きをもって一見仕り候ところ…檜木五寸角くらいの標木、長さ五尺くらい三本建て並べこれあり…坂本龍馬紀直柔神霊、裏に慶応三年丁卯十一月十六日神去三十三才とあい記し ・・・・ >> 続き
龍馬奥津城余談
杉さんぼく
2015/10/06 06:37
[191]
龍馬さんの兵法目録が、おまさんらぁ、それが行方不明なのを知っちゅうか…とテレビ局に掛かって来た電話から、FNS大賞ノミネートされたテレビ番組が、2002年10月(高知は7月)に放送されました。
高知から出た今回の発見ニュース(2015年11月)、やっと世に出てきたか、と言うところです。
指定暴力団会長(当時)を尊敬しているという○氏が、竹中清水氏から中内 ・・・・ >> 続き
消えた龍馬兵法目録13年振りに出現!
杉さんぼく
2015/11/10 21:13
[234]
2002年10月(高知は7月)に放送されて以来、行方知れずの龍馬兵法目録。
広域指定暴力団会長(故人)を尊敬しているという○氏が、桂浜龍馬会なる架空団体名で桂浜の闘犬センター(現在はない)に展示していたのを、龍馬生誕150年の折りでしたかに確かに見ました。
結局、そのいきさつがTVに出た以上世に出せず、金策に困って内々に売却したのかも知れません。
> 続き
桂浜馬龍馬会として龍馬兵法目録を持っていた〇氏は故人になっていた!
杉さんぼく
2016/01/07 00:45
[207]
実録・維新十傑「坂本龍馬-中岡慎太郎」(昭和10年平凡社)を書いた、講談師として名を馳せた伊藤仁太郎痴遊が、昭和2年2月4日に東京放送局で放送した「龍馬の死」で、龍馬暗殺者として、十津川浪士・山田五郎右衛門の名前をあげています。(同書)
はて…。
伊藤痴遊ほど維新資料を集め、読み込んでいる人はいないだけに、この名前はどこから来たのでしょう。
< ・・・・ >> 続き
龍馬惨殺 伊藤痴遊談
杉さんぼく
2015/12/02 22:12
[208]
また、以下のような話もあります。
痴遊氏が龍馬暗殺遭難について新聞に書いたら、浜松の代議士候補にもあがる中村四郎兵衛という人の書簡から、元新選組隊士の話を紹介しています。
…小生知己に永田克忠と申人有之…、同氏も新選組の一人にて、病気の為、刺客に加わらず候へ共、全く坂本暗殺者は今井信郎、渡辺一郎、高木啓次郎三人に相違無之、今井は祿七俵の所、右功により六百 ・・・・ >> 続き
龍馬惨殺 伊藤痴遊余談
杉さんぼく
2015/12/02 22:26
[211]
龍馬惨殺day
慶応3年(1867)★11月15日
(新暦1867☆12月10日)
平成27年(2015)(☆11月15日★旧10/4)
(★11/15→旧暦★12/25)
(☆12/10→☆10/29)
平成28年(2016)(☆11月15日★旧12/13)
(★11/15→旧暦★12/13)
> 続き
龍馬惨殺日の新旧暦(平成27年〜30年)
杉さんぼく
2015/12/03 06:19
[212]
龍馬惨殺day
慶応3年11月15日(新暦1867年12月10日)
この日、1867年12月10日(慶応3年11月15日)の月
新月 13日 17時 42分
半月(上弦) 20日 14時 19分
満月 28日 19時 21分
半月(下弦) 7日 0時 32分
龍馬惨殺日の夜は、下弦か ・・・・ >> 続き
龍馬惨殺日は満月だったか?
杉さんぼく
2015/12/03 06:54
[214]
龍馬惨殺本のお薦めには、「龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた」(中島信文著-彩流社刊2012)です。
曰わく「暗殺通説は、事件現場にいなかった土佐藩要人ら一部関係者による証言から事件後出来上がっており、…全て、土佐藩の武士が関係、関与しないと近江屋事件は無理がある」として、実によく調べています。
「龍馬を殺したるは実弟只三郎なり」と、実兄・手代木勝任が ・・・・ >> 続き
龍馬惨殺のお薦め本
杉さんぼく
2015/12/03 07:11
[239]
龍馬の本家になる才谷屋文書(六代直益順水日記)の記述に、日下茂兵衛と言う土佐のネズミ小僧なる、享保の頃の怪盗の事が記されています。
本当にいたのだろうか、と伝説説、実在説の論議がある中、才谷屋文書に実在説の記載があったのです。
享保六年九月四日夜、蓮池町牢舎の罪人日下茂兵衛といふもの、相牢の者の銀を盗み取り、牢をぬけ欠け落ち仕る…。
> 続き
才谷屋順水日記余話(龍馬の本家)
杉さんぼく
2016/01/20 06:43
[243]
数日前の朝日新聞「教えて」欄で、「建立」(こんりゅう)の読みについて、鈴木明雄企画委員が答えていました。
身近に、他の読みでは「立=りゅう」の読みは見当たらない、と。
しかし、坂本龍馬を立馬と読む例のあるのが龍馬関係者なら、知られています。
新選組隊士で、後に高台寺党として分離した服部武雄こと三郎兵衛良章36歳が、慶応3年11月19日(1867)新選組との ・・・・ >> 続き
建立の読みに寄す〜立馬余談
杉さんぼく
2016/02/02 14:47
[244]
お龍さんは、
おりゅうさん でしたか?
Re: 建立の読みに寄す〜立馬余談
京都歴史研究会・代表
2016/02/05 22:19
[247]
お龍さんは、お良でしょう。
龍馬自身が同じじゃなあと、手紙で言ってますね
よってお龍の読みを「おたつ」と読んだか書いてある若きお龍写真は、疑問符が付きます。
お立とは言わずお良ですね。
さんぼく
2016/03/01 17:22
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