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杉さんぼく
龍馬惨殺本のお薦めには、「龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた」(中島信文著-彩流社刊2012)です。
曰わく「暗殺通説は、事件現場にいなかった土佐藩要人ら一部関係者による証言から事件後出来上がっており、…全て、土佐藩の武士が関係、関与しないと近江屋事件は無理がある」として、実によく調べています。
「龍馬を殺したるは実弟只三郎なり」と、実兄・手代木勝任が述べた資料についても、実は戊辰戦争で赦されるとなぜか明治5年、高知権参事に出仕、他藩から恵まれた土佐藩援助のもとに生きた、とその関係を紹介しています。
今井信郎→西郷隆盛
渡邊篤→海江田信義
の繋がりにも似てなくもありませんね。
龍馬書簡に見える「…寺町ニ川村盈進入道ニ行合…」(慶応元年9月7日権平 乙女宛)
「入道盈進までおんこし被成候…もし入道盈進がおくに二かへり候時ハ、伏見二て…」(同9月9日乙女宛)
の入道川村盈進が、龍馬旧知の医師にもかかわらず、土佐藩から駆けつけての死体検案書がないのは不思議なのはむべなるなかです。
龍馬惨殺の夜は、雨上がりの月夜だったのでしょうか?
その運命を予言したかのような龍馬の極月書簡がいまに残ります。
「…世の中の事ハ、月と雲、実二どフなるものやらしらず、おかしきものなり。…年のくれハ、米うけとりよなどよりハ、天下のセ話ハ実二おふざツパいなるもの二て、命さへすてれバおもしろき事なり」(慶応2年12月4日)
そう言えば、毎年の旧暦11月15日は満月か満月前夜です。
まさに、世の中は月と雲、人生終わるもおもしろきかなかも知れませんが。
世の中と言えば、
龍馬の歌の流布。
「世の中の人は 何ともいはゞ
いへ 我がなすことは我れのみぞ知る」
正しくは
「世の人は われをなにともゆはゞいへ わがなすことは われのみぞしる」
「…うちにいるのに こゝろのやみぢ さぐりさぐりて いでゝ行」(龍馬里謡)った龍馬dayの満月前夜、天に意志がある年の暮れゆく空があります。
今井信郎が述べた「雨上がりの月が煌々と輝いていた」、満月前夜19時21分の天気良ければの、龍馬慎太郎惨殺の月の光を見て、旧暦のその日こそ季節の体感を感じ、初夜の頃に龍馬・慎太郎、そして雲井龍藤吉を偲びましょう。
2015/12/03 Thu 07:11 [No.214]