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杉さんぼく
東大維新資料編纂所の資料に、鳥取藩丁卯筆記と云うリアルタイムな探索方記述があります。
「…右三人の死骸、神道の式をもって…高台寺の南隣、国阿上人の旧跡霊山山内、村上歳太郎請け持ちの山地に埋葬に相成り、右山地埋葬の場所へ続きをもって一見仕り候ところ…檜木五寸角くらいの標木、長さ五尺くらい三本建て並べこれあり…坂本龍馬紀直柔神霊、裏に慶応三年丁卯十一月十六日神去三十三才とあい記しこれあり、左の方向同断標面、中岡慎太郎道正神霊、裏に同断年号月日とも、下に三十才と認めこれあり、右の方標面、籐吉神霊、裏に前同断、下に十九才とあい認め記しこれあり候…」
と、葬儀の翌日に墓碑の前に立った鳥取藩探索方が書き残して報告しています。
この記述を改めて見ると、今の龍馬慎太郎墓との違いがあるのは判りますか?
現在の墓は、右手に「中岡慎太郎道正之墓」
左手の真ん中に「坂本竜馬直柔之墓」
そして、囲い外には「藤吉之墓」です。
これは一般的かどうか判りませんが、著名ランクの本来なら一番右に龍馬であり、慎太郎はその次の位置にある訳です。
つまり、集合墓なら一番が右に龍馬であり、左に慎太郎との順番になります。
さて、そこで鳥取藩探索方のリアルタイムな記述です。
「…右三人の死骸、神道の式をもって…檜木五寸角くらいの標木、長さ五尺くらい三本建て並べこれあり…坂本龍馬紀直柔神霊、裏に慶応三年丁卯十一月十六日神去三十三才とあい記しこれあり、左の方向同断標面、中岡慎太郎道正神霊…」
と、葬儀の翌日に墓碑の前に立って報告しています。
「右三人の死骸、…三本建て並べこれあり…坂本龍馬紀直柔神霊、あい記しこれあり、左の方向同断標面、中岡慎太郎道正神霊…これあり…」
当初は、右に龍馬、その左に慎太郎だったのですよ。
いつから代わったのか?疑問に感じざるを得ません。
2015/10/06 Tue 06:37 [No.146]