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杉さんぼく
「…幕末つてさういふものだなあと思つてね、あらためて面白くなるけど、いろいろなイデオロギーがごつちやになつちやふ。勤皇(注-正しくは勤王)、佐幕、開國、攘夷と四つあつて、それが順列組合せになる。佐幕勤皇、佐幕攘夷、佐幕開國、勤皇開國、勤皇攘夷…とあつて、まるでダービーだ。ただひとつなかつたのは、開國攘夷。今の日本の状況はだんだんかうなつていく。沖縄の事件ひとつみてもさうだね…。」
今から43年前に、三島由紀夫氏が語った一文ですが、幕末維新以上に昭和維新に関心を抱いた三島氏ですら、尊王=勤王ではなく昭和維新の青年将校の唱えた尊皇=勤皇が記憶にあった、と思わざるを得ません。
70年安保に危機感を感じた三島氏は、自衛隊決起せよ、とその翌年の1970年、市ヶ谷の自衛隊占拠で割腹自刃した事件から42年の歳月…。
数年前の龍馬伝に明け暮れた中で、余り騒がれる事なく、その三島由紀夫が考えもしなかった昨今の様相、流れに棹差しながら開國攘夷はまさに政治混迷時代に入りました。
相手の話を聞かず一方通行にまくしたてた自分に酔い、多分、三島由紀夫すら読んでないし、憲法論議で砂川事件すら知らなかったのではないかと言う、知性のない安倍首相によって、この先どう流されて行くのでしょうか。
結局、自民党安倍首相を選んだ国民にも責任はあるだろうし、支持率上がらずの、対抗する野党に魅力ない原因も否めません。
まさに、外圧危機に直面した現代の幕末維新の何ものでもありますまい。
2015/07/21 Tue 11:36 [No.40]
杉さんぼく
我等団塊世代の時代的ヒーローだった俳優に高倉健さんがいます。
その健さんが、山本周五郎作品に触れているので紹介しましょう。
…人に薦められて山周さんの「晩秋」をあわてて読んだら、骨太のしっかりした、もの凄く力強い作品だ、と思った。
自分の父親を切腹に追い込んだ相手に、心を通じさせてしまう娘の話で、何もかも人のせいにして押し付ける今の時代を見抜いて書いているその筆は凄い、黒澤明監督も行き詰まると、山周作品を読んでいたとか。
現代人が失ってしまった何か大切なものを追い求めて止まない……
そしてこの「晩秋」を読んでいただきたい、と憂いをこめて結んでいます。
健さんがまた、かくも言います。
…冬の松を表す「寒青」と言う言葉が好きだ。
枯れ果てて凍てつく風雪に、松だけが青々生きている、人生どんな厳しくあっても、自分もこの松の様に青々と、活き活きと人を愛し、信じ、触れ合い、楽しませるようにありたい……、そんなふうに生きていけたら……。
とても好きな言葉だ。
たまには、歴史に関係なくもこうした読書に親しみましょう。
それこそ、歴史に触れて、そんな風に生きて行けたら…です。
恵光院周嶽文窓居士 合掌。
2015/07/27 Mon 00:54 [No.64]
杉さんぼく
三島由紀夫の母方の縁戚は旧幕老中、永井尚志だが、この読みをなおむねとか、なおひさと読んだ小説や資料が多い。
だが、この読み方は間違いだ。
正しくは「なおゆき」と読む 。
と言うのも、以下の様に孫の久富志子さんが言われている。
「父が、曾祖父の永井尚志の名前である[ナオユキ]からの[志]の一字をもらって、志子[ゆきこ]と名付けた。だから、尚志は、なおむねではなく、なおゆきが正しいのです。」
ちなみに、旧幕15代将軍徳川慶喜は、外交上はけいき・一般的にはよしのぶと普通は呼称される。
むろん間違いではないが、本来は「のりよし」という読み方が正当である。(徳川資料古文書)
2015/07/27 Mon 22:42 [No.65]
杉さんぼく
幕末維新の再来かと例えられた昭和維新の時代を象徴するかの2.26事件、これらの青年将校たち(或いは陸軍仕官学校、陸軍大学学校出身)は、「大正デモクラシーを自由謳歌して後」(萩のゴジラお宅歴史研究のI氏)彼らは松陰や西郷、乃木希典に心酔したのでしょうか。
いや、そうではない、それは短期間ながらの大正デモクラシー、デモクラットな考えが浸透しつつあった明治維新後の、近代化反動の始まりなのではないだろうか、と思ったします。
折しも、昭和3年(1928)は一巡りした戊辰の年、早や60年でした。
この前後に幕末維新ブームが起こり、勤王佐幕を問わない中で、子母澤寛氏の新選組3部作、幕末奇談等の名著が生まれ、歴史家の平尾道雄は「新撰組史録」を世に出しました。
と同時に昭和に入った1925年・治安維持法が、政治デモクラシーの自由を脅やかすために発動されました。
ただ単なる歌舞音曲的な自由謳歌時代だったなら弾圧されないにも関わらずで、昭和維新の歌を聴いたなら、こうした事情が判ろうかと言うものです。
この辺りの流れは、出版人作家の半藤一利氏の「幕末史」(新潮社)「昭和史」(平凡社)がお薦めで、中途半端な歴史家を振りかざす本よりはましではないかと思われます。
幕末維新ブームにのっての名を売る、明日の糧を得る品位のない姿勢は、やはり歴史顕彰とはほど遠いと言わざるを得ないし、疑問視せざる得ません。
明治国家樹立から57年を経た昭和時代の始まりは、ある意味では陸軍が主役であれ、悪役であれ担ったのは間違いがありません。
それは大正11年(1922)、日本陸軍重鎮の山県有朋死亡によって、長州閥横行から陸軍仕官・陸軍大学学校出身の軍刀組と云うに成績至上主義になり、昭和軍閥の台頭を出現させました。
かたや、この頃の流行語「大学は出たけれど…」の構図が巷を席巻していました。
「成金」流行語の生まれた大正期の好景気は短く、日本経済安定化まで行かないままの不況〜関東大震災、そして追い討ちは昭和4年のアメリカの株式崩壊に金融恐慌でした。
2015/09/11 Fri 10:27 [No.130]