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明治維新と昭和維新

杉さんぼく

幕末維新の再来かと例えられた昭和維新の時代を象徴するかの2.26事件、これらの青年将校たち(或いは陸軍仕官学校、陸軍大学学校出身)は、「大正デモクラシーを自由謳歌して後」(萩のゴジラお宅歴史研究のI氏)彼らは松陰や西郷、乃木希典に心酔したのでしょうか。

いや、そうではない、それは短期間ながらの大正デモクラシー、デモクラットな考えが浸透しつつあった明治維新後の、近代化反動の始まりなのではないだろうか、と思ったします。

折しも、昭和3年(1928)は一巡りした戊辰の年、早や60年でした。
この前後に幕末維新ブームが起こり、勤王佐幕を問わない中で、子母澤寛氏の新選組3部作、幕末奇談等の名著が生まれ、歴史家の平尾道雄は「新撰組史録」を世に出しました。

と同時に昭和に入った1925年・治安維持法が、政治デモクラシーの自由を脅やかすために発動されました。
ただ単なる歌舞音曲的な自由謳歌時代だったなら弾圧されないにも関わらずで、昭和維新の歌を聴いたなら、こうした事情が判ろうかと言うものです。

この辺りの流れは、出版人作家の半藤一利氏の「幕末史」(新潮社)「昭和史」(平凡社)がお薦めで、中途半端な歴史家を振りかざす本よりはましではないかと思われます。

幕末維新ブームにのっての名を売る、明日の糧を得る品位のない姿勢は、やはり歴史顕彰とはほど遠いと言わざるを得ないし、疑問視せざる得ません。

明治国家樹立から57年を経た昭和時代の始まりは、ある意味では陸軍が主役であれ、悪役であれ担ったのは間違いがありません。
それは大正11年(1922)、日本陸軍重鎮の山県有朋死亡によって、長州閥横行から陸軍仕官・陸軍大学学校出身の軍刀組と云うに成績至上主義になり、昭和軍閥の台頭を出現させました。

かたや、この頃の流行語「大学は出たけれど…」の構図が巷を席巻していました。
「成金」流行語の生まれた大正期の好景気は短く、日本経済安定化まで行かないままの不況〜関東大震災、そして追い討ちは昭和4年のアメリカの株式崩壊に金融恐慌でした。

2015/09/11 Fri 10:27 [No.130]