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[ 編集 ][ 返信 ]お伊勢参り道中咄

杉さんぼく

伊勢本街道と伊勢詣りについて〜
★「伊勢に行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」、と伊勢音頭でも唄われたように、神宮の鎮まる伊勢を目指す旅は、江戸時代の庶民が夢にまで見た憧れの旅だった。

その伊勢参宮の歴史は古く、鎌倉時代中期以降、神宮信仰の担い手であった御師の布教の力が大きい。
これにより全国的な広まりと共に、道の整備なども進み、旅のし易い環境が整っていった。

戦国末期には、織田信長の政策などによって各地の関所が廃され、参宮者の数も増加。更に、江戸時代になると、幕府主体の宿駅制度の制定や交通事情の改善に加え、経済的・時間的余裕を持つまでになった庶民層も大いに旅を楽しむことが出来、賑わいを増した。

そうした安定期の江戸時代にあっては、旅そのものがいわば娯楽であったから、伊勢詣りは最も人気の高い旅の目的地として確立するに到った。

村などの共同体で講を作り、積立金を元手に代表者が伊勢まで旅して参拝(代参)するというケースも全国的に見られた。
これが伊勢講である。

2015/10/13 Tue 14:49 [No.150]


残り2件

  1. [80] 弥生から古墳文化の発達と共に畿内を軸とした各地を結ぶ幹線を山道、海道という交通概念を生みました。

    江戸時代になって、いわゆる、東海道や中山道等の五街道が整備され、その一つに奥州道中(白河までで、以北は仙台道、松前道に通ずる)があります。

    奥州道中の道の奥(みちのく)、奥(道奥)としての「奥大道」の確定は古く、官道東山道、東海道が律令政府下で設定された事を  ・・・・ >> 続き
    道と路の道中咄
    杉さんぼく 2015/07/31 20:07
    1. [150] 伊勢本街道と伊勢詣りについて〜
      ★「伊勢に行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」、と伊勢音頭でも唄われたように、神宮の鎮まる伊勢を目指す旅は、江戸時代の庶民が夢にまで見た憧れの旅だった。

      その伊勢参宮の歴史は古く、鎌倉時代中期以降、神宮信仰の担い手であった御師の布教の力が大きい。
      これにより全国的な広まりと共に、道の整備なども進み、旅のし易い環境  ・・・・ >> 続き
      お伊勢参り道中咄
      杉さんぼく 2015/10/13 14:49
      1. [151] また、約60年に一度、「参宮ブーム」現象が起こり、年間何百万人もの参宮者が伊勢参りをした。

        これを「おかげ参り」と呼び、慶安3年(1650)、宝永2年(1705)、明和8年(1771)等があり、とりわけ文政13年(1830)に起こった「おかげ参り」はつとに有名である。

        こういった人々を伊勢へと駆り立てる原動力には、神宮信仰はもとより、旅そのものへの憧れや  ・・・・ >> 続き
        続・お伊勢参り道中咄
        杉さんぼく 2015/10/13 15:02
        1. [152] しかし、伊勢本街道は距離的に短い分、険しい山道が多く、これより北を走る北街道(青越え)の方が平坦であった為、参勤交代に使われたりして、次第に伊勢本街道の整備は怠られるようになり、利用者も減っていった。

          明治時代に入り、一時は復興的に整備がなされるものの時既に遅く、鉄道の普及に伴い伊勢本街道は時代に取り残されてしまった。

          かつては参宮者で賑わった旅籠も廃業  ・・・・ >> 続き
          続々・お伊勢参り道中咄
          杉さんぼく 2015/10/13 23:10