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京都歴史研究会代表
安川様、ご来場頂けましたでしょうか?(記帳なかったので)
開場の瞬間、スタッフと同時に聴講のお客様が会議室に入られてしまい(先に席を取られた為)受付が出来ませんでした。
また芳名簿には、52名が座席にて記帳下さいましたが、書かれていない方々もいて
人数把握が出来ませんでした。
しかし資料100部作成だったとかで、残袋を確認しましたら、聴講者は70名前後のようです。
次回より、キチンと受付が出来るように致します。
聴講下さった皆々様、有り難う御座いました。
2015/09/23 Wed 14:05 [No.139]
京都歴史研究会代表
9月19日(土)13時〜16時半
ひと・まち交流館京都
(京都市下京区河原町五条下ル)3階第5会議室にて
◇梅田雲濱五代目子孫
梅田昌彦氏(元大阪芸術大学教授)の記念講演は素晴らしかったです。。
◇詩吟も良かったです♪
◇朗読お疲れ様♪
◇雲濱生誕200年を顕彰するフォーラムを、
*パネラー
◇大高忠兵衛の子孫
◇維新クラブ会長:赤禰武人研究者
◇古高俊太郎研究者
◇鳥取藩:水戸学研究者
◇京都の天皇陵研究者
◇京都歴史研究会代表
*参加者約70名
ちょっとアンケートや記帳が上手く出来ませんでした。これからの課題ですね。
しかし、参加の皆さんから良かったと喜びの声をたくさん頂戴し、
大成功のフォーラムになりました。
約半年前からの準備でしたから、会員さん初め、応援下さった皆々様ご苦労様でした。
フォーラムを聴いて下さった皆々様
有り難う御座いました!
2015/09/20 Sun 22:47 [No.137]
京都歴史研究会代表
さて、この講座のレジェメで、彦根城博物館所蔵
戊午の密勅の写しのコピーを戴いた。
また、安政の大獄での処分リストも初めて見た。
これには、評定所(老中1名.寺社奉行.勘定奉行.町奉行.大目付.目付)が諮問決定した処分リストに、それより重い[死罪]の言葉などを付箋紙で貼り付けられたものだった。
例えば、吉田松陰は、初めは
「流罪」判決が「死罪」となっている。
井伊直弼が貼ったと伝わる、
罪を一段以上重くした書き換えだったが、母利美和教授が言うには、井伊直弼ではなく、井伊直弼と皆で決定した罪状という。。
因みに安政の大獄/主な処分者…
◆安政6年4月22日:前関白/鷹司政通、鷹司輔煕、前左大臣/近衛忠煕、前内大臣/三条実万⇒落飾(出家)。前武家伝奏/東坊城聡長⇒永蟄居。
青蓮院宮(久邇宮朝彦親王)⇒隠居永蟄居。
◆安政6年8月27日:
徳川斉昭⇒国許永蟄居。
水戸藩主/徳川慶篤⇒差控。
徳川慶喜⇒隠居・慎。
◆安政6年8月27日:第一次断罪水戸藩家老/安島帯刀⇒切腹。
京都留守居役/鵜飼吉左衛門⇒死罪.鵜飼幸吉⇒獄門。
藩士茅根伊予之介⇒死罪。
鮎沢伊大夫・小林良典⇒遠島。池内大学⇒中追放。
勘定奉行/川路聖謨(かわじとしあきら)⇒罷免.隠居差控。
◆安政6年9月6日
前老中/堀田正睦(ほったまさよし/佐倉藩主)⇒隠居。
◆安政6年9月10日
前老中/松平忠固⇒隠居。
◆安政6年10月7日:第二次断罪橋本左内・頼三樹三郎・飯泉喜内⇒死罪。
大覚院門跡家臣/六物空万⇒遠島。
◆安政6年10月27日:第三次断罪
吉田松陰⇒死罪。
◆安政6年12月16日
茅根伊予之介の息子/熊太郎⇒遠島。
※これにて処分終了。
だが、その翌年、安政7年3月3日、
井伊直弼(1815〜1860年3月24日)は、安政の大獄の報復を受けるような形で、
桜田門外において暗殺された
2015/09/11 Fri 07:23 [No.124]
京都歴史研究会代表
戊午の密勅(ぼごのみっちょく)
幕府の将軍継嗣問題の決定や、安政五か国条約の違勅調印を快く思わなかった第121代孝明天皇(1831〜1867)は、幕府および水戸藩へ
安政5年(1858)8月8日付け勅諚(ちょくじょう)を下した。
戊午は安政5年の干支で、
前例を破って朝廷から水戸藩に内密に下されたので「戊午の密勅」という。
水戸藩へは8月7日深夜…左大臣近衛忠煕(ただひろ)から水戸藩京都留守居:鵜飼吉左衛門(うがいきちざえもん)に手交され、諸藩へ伝達せよという添書が付けられていた。
この異例の勅諚には、条約調印をめぐる幕府の対処の仕方を批判し、水戸藩の攘夷推進を促していたが、これを知った幕府は
、水戸藩に諸藩伝達を禁じた。
水戸藩ではこの勅諚伝達の
可否を廻り意見が分かれ、
翌年、朝廷が幕府の求めに応じて勅書返納を沙汰するに及んで政治問題化した。
天皇の幕府・諸藩に対する政治的所信初の公的な表明と取れる[戊午の密勅]は、朝廷が積極的に政治関与を示したもの位置付けられ!
大老:井伊直弼に[安政の大獄]の弾圧を決意させる発端となった
…2015年9月4日(金)、
私は京都アスニーセミナーの講座を受けてきた。
『井伊直弼と安政の大獄』
京都女子大学文学部教授
母利 美和(もり みわ!ではなく男性の教授:もり よしかず)
彦根城博物館学芸員をされていたので、井伊直弼には詳しく著書も多いらしい。但し、水戸の人には、よく思われていないとか?(笑)
安政の大獄で、梅田雲浜を最も重要(幕府にとっては危険)人物として(安政6年9月7日)、一番に捕まえた井伊直弼を 私は良くは思っていない
しかし歴史は、敵味方の両方の立場から見なくてはならないから、
先月、彦根に行き、井伊直弼展も観て来たし、今回の講座も聴講して来た。
口の堅かった梅田雲浜、論ずれば歯が立たなかった為、江戸送りにしたという。
(安政6年9月13日(1859/10/9)獄死)
吉田松陰は連座しただけで、
戊午の密勅とは、何ら関係ない人物であり、たまたま、捕らえみたら、言わなくても良い
老中首座である[間部詮勝(まなべあきかつ/1802〜1884)の暗殺]を企てていた事を自白しての死罪だった(安政6年10月27日)。
2015/09/11 Fri 07:21 [No.123]
京都歴史研究会代表
安川様。
お問い合わせ有り難う御座います
はい、予約なしで[先着90名]を予定しています。
資料も90部ご用意しています。
19日(土)午後1時開場受付させて頂きます。
会場となる会議室が1時前にしか開きませので、準備の関係上、すみませんが廊下で並んでお待ち下さいますようお願い致します。
開場後、先着順に受付しますので、記帳後、お好きな座席にお座り下さいませ。
当日、お友達やらお誘い合わせ下さると嬉しいです
お待ち申しております。
2015/09/08 Tue 22:43 [No.120]
京都歴史研究会代表
京都新聞のまちかど欄に
来週、フォーラムの案内が掲載されます。
本日9月8日(火)
朝日新聞・京都欄に
フォーラム開催をメールでお伝えしました。
掲載されるかは、分かりません。
尚、新聞紙上の問い合わせ電話番号は奥津希多代ママの携帯にしましたから、よろしくお願い致します。
2015/09/08 Tue 18:27 [No.118]
京都歴史研究会代表
E梅も、「埋め、埋まった」から来ている。
沢山のビルが建ち並ぶ大阪の中心[梅田]は、湿地帯を埋め立てた場所だ。
F落合は、川の合流部を意味する。
G柿のつく地名は、土地が「欠けて」いる所。。
H釜は、津波でえぐられた地形。
鴨も「カマ」が転じて、えぐり取られた地形や低湿地の浸水地名。
京都の下鴨は、そのままの場所だ。
I倉・蔵は、「崖や谷」などに付けられた。
神奈川県の鎌倉、岡山県倉敷市が挙げられる。
土砂崩れがおきやすい地区かも知れない。
J白は、「更(さら)地」になるという意味。洪水の土砂で埋まった土地。
K曽根は、川の水が運んできた堆積物を「そね」と呼び、突出した岬や、城下・市場などの端を表わす。
L新田(にった)は、「煮た」で「じとじとしている湿地や沢」を表す。
M貫(ぬく)は、鉄砲水での山崩れや土砂崩れの場所。
N除(のぞく)は、洪水時に、税を「免除」されたや、土地が「のぞかれた」の意味。
O萩(はぎ)は、「剥き」に由来し、山間部では崩れやすい崖地、土地が「剥がれ」地滑りする場所。
P平は、急傾斜地や崖地で滑りやすい土地。
Q吹(ふく)は、火山の噴火例えば、雲仙普賢岳は、ふく→ふける→ふけぬ→ふけん→ふげんだけ。
番外編で、美女は、何故だか「ぬかるみ」を表している
まだまだ、数多くの警戒を促す名前が存在している
本『あぶない地名』
災害地名ハンドブック
小川豊著…等々発行されているので、参考にされると良いだろう。
2015/09/08 Tue 07:56 [No.116]
京都歴史研究会代表
古来より地名は、
地形・特産物・生息動植物・
幕府や藩の行政機関・神社や城・住人の職業身分・出来事等・・・・
その土地の地理歴史から命名されている。
土砂災害に見舞われた
広島県広島市安佐南区八木地区(八木3丁目)は、かつて
『蛇落地悪谷
(じゃらくじあしだに)』
「竜の首が落ちた場所」と呼ばれていた
災害に警鐘を鳴らした地名だった。
新興住宅地は、古(いにしえ)の人々の付けた名前を伏せて
○○台や○○の丘等と、お洒落な名前を付け宣伝し、購買意欲を駆り立てる。
なので、古地図を確認したり、古老の話を聞いたり、古い登記簿(閉鎖謄本)を入手する等、危険情報を集めるのが、土地や家屋を購入する時に必要だろう。。
例えば、古(いにしえ)の名前を挙げてみよう・・
@小野小町の棲む随心院に
九十九夜通った後、満願の百日目に凍死した深草少将(良岑宗貞816〜890後の僧正遍昭:小野小町と同じ六歌仙の一人の説有り)は有名だ。
その少将の住まいが京都伏見の深草の地なので、深草少将と呼ばれた。
深は、深田、泥田を意味し、
草は、伏見区の伏フサ・フシ・フセと同様に水辺の底湿地を意味している。
よって深草の地盤は強くない場所なのだ。
A柴又(しばまた)は、
[嶋俣(しままた)]が変化したもの。嶋は、デルタ状の土地。
俣は、河川の合流地点を意味する。
岐阜県大垣市の秀吉の一夜城で知られる「墨俣城」も俣が付く。。
長良川とその支流が入り混じる地に建てられた城(砦か)で、城全体が河川に面している。
現在の城跡とされている場所は、河川の氾濫や開発で地形が変わっている為、推定された場所で、遺構が残っていたのではない。
他に、危険地帯として、
B小豆(あずき)は土砂災害のあった場所
「あず」は「あぞ」の転化、谷筋が崩れて岩などが堆積している場所。
香川県小豆島は古事記では、
「あずきしま」と呼ばれている。
C芋・伊毛・妹・神・今生などの「いも」は、うも(うめ)となまり、埋まるの意味だ。
新潟県の中越地震で被害をうけた、旧山古志村の
「芋川」も、「埋もれる川」そとしている。
D宇佐・牛は、まさしく古語の「憂し」からで、不安定な土地を云う。
Eに続く
2015/09/08 Tue 07:52 [No.115]