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奥津希多世ママ
そうですね、ここに知られざる歴史は現代の遺跡を紹介します。
大阪石橋の阪大総合博物館裏手の待兼山に、忘れ去られた駐蹕碑(天皇行幸啓)が建っています。
今上陛下行幸記念碑です。
そう言えば、昨年(2014)の6月25日に、この阪大総合博物館の緒方洪庵資料をご覧に、天皇皇后両陛下が来られました。
昭和4年に昭和天皇は大阪に来られていますが、それ以前、荒れ放題の駐蹕跡碑とある裏面には、今上陛下、大正5年の刻字があり、再度の来阪でした。
この駐蹕碑(天皇行幸啓)について、昨年、天皇両陛下を案内されて説明されたかどうか…。
一方、その荒廃碑がある待兼山には、何かと権力闘争で宣(かまびす)しい朝鮮問題の重い歴史がありました。
1950年6月25日、北朝鮮が38度線を越えて南下した事から、国連軍、中国軍が参戦、ジェット機空中戦が初めて行われた朝鮮戦争が勃発、ソ連提案で1953年7月27日休戦協定調印し、朝鮮半島分断で今に至っています。
この戦争に絡んださなか、待兼山から1952年6月24日〜25日に事件が起こりました。
いわゆる吹田枚方事件です。
朝鮮戦争前夜祭として、待兼山に竹槍、火炎ビンを手にした朝鮮系学生1000人以上余りが集結、駐留軍宿舎のあった伊丹や輸送列車のある吹田操車場を襲撃目標としました。
ところが、厳戒警備のために警官隊と衝突しながらその拳銃を奪い、右翼大物笹川良一宅や駐留軍准将宅に火炎ビンを投げ、吹田駅停車中の車両に雪崩れ込み、拳銃、火炎ビンで抵抗、そして別同隊の学生数人は、枚方の旧陸軍工廠に爆弾を仕掛けたりして、検挙者総数は100人あまり以上が出ました。
日本が特需景気に湧いて戦後経済の弾みになった朝鮮戦争でしたが、これに呼応して、こうした事件は全国で起こったとされています。
例えば京都三条の島津製作所では、破防法反対などでパトカーが火炎ビンで襲われたり、警官隊に重軽傷を負わせています。
さて、何の因果が昨年の天皇両陛下来阪が6月25日でした。
まさにその日、荒れた駐蹕碑のある待兼山に、集結したことから起こった事件が6月25日、偶然にしても大学側はご存知だったのかどうか…。
いずれにしても、両陛下はその駐蹕碑まで案内はされていなかったでしょう。
案内されたなら、その道、石段もきれいに整備されているのではないでしょうか。
2015/08/11 Tue 12:25 [No.90]