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Woody web
今日は、天気が良く、富士山の写真でも撮りに行こうと思い、箱根に向かいました。
もるげんさんの箱根超えの写真に引きつられて、出かけました!
しかし、箱根方面は、晴れてはいるものの、雲がいっぱい浮いていて、富士はスッキリとは映りそうにもないので、箱根インター出口の鈴廣かまぼこ屋の店先に木通(あけび)のいっぱい成ってりる蔓棚があるのを思い出し、写真に撮って置きたくて、急遽行き先を変えました。
現場に着くと、木通(あけび)は、まだ完全には開き切ってはいない状態で、写真的には、まぁまぁの状態でしたが、思うように写真が撮れました。
鈴廣蒲鉾屋は大きな駐車場ですから、国道一号線の両側に広い駐車場がありますが、その箱根方面の駐車場では、民族衣装の姿で太鼓を叩く集団が居ました。「北條太鼓」を披露する一団でした。それに北條武士火縄銃披露一団もいました。小田原の観光を披露する人たちがいっぱいいます。「何事があるのか?」と鈴廣かまぼこ店の社長に続く係員の人に問いましたら、「ミスインターナショナル一行が来るんです!」との返事じゃないですか!(^ー^)
「ラッキー!ッ!」(^ー^)\(◎o◎)/!
2015/10/26 Mon 18:21 [No.1067]
Woody web
もるげんさん、ご無沙汰してます。
そう言えば、「風の盆」の季節でしたね。
風の盆のあみ傘は、顔を隠して奥ゆかしく被りますね。徳島の阿波踊りなんかは、顔をこれ見よがしに被りますよね。「風の盆」の風情は良かった。
俳句の季語に「風の盆」が入っています。
昔見た風情を、思い出しながら詠んでみました。
「 あみ笠を 深くかぶりて 風の盆 」 独活 詠
「 ゑりもとに 胡弓流れて 風の盆 」 独活 詠
お粗末でした。
2015/09/04 Fri 15:05 [No.1062]
もるげん
こちらこそご無沙汰です。
いやあ、縁は異なもの味なもの ですねえ。
素晴らしい ルーツ探しです。 パチパチ
わざわざのご報告ありがとうございます。
2015/07/04 Sat 19:05 [No.1061]
Woody web
もるげんさん、ご無沙汰してます。
もるげんさんから教えて頂いた我がルーツの上郎幸八翁の銅像写真がインターネットに載っていることに驚きました。
そして、その写真をNetに載せた本人のOishi氏から写真を頂きました。
それも、色んな情報が少しずつ繋がって、結果としては、私に贈られてきたのです。
Oishi氏は、彼の仕事の関係から、あの写真を貰ったのです。写真を譲った人は、翁の銅像を建てた当時の関係者の親戚の方でした。
そのことは、私がHPに載せた台座裏の銅像建立賛成者名列銘板に刻まれていたのです。Oishi氏はHPの写真から、その方の名前を読んでくれたのです。
その前に、私のHPに上郎幸八翁に関するページがあることを見つけてくれて、Oishi氏に教えてくれた人が彼の仕事の関係の商品を買って呉れた人でした。その人は、福井に住んでいたひとですが、今はOishi氏の近くに住んでおられます。その人が、私のHPを見つける原因になったのが、私のHPの中の「金森藩」と言う言葉でした。
「金森藩」は私の故郷の江戸時代の地名でした。その方は福井に居られた頃、「金森藩」に関わる看板を作る仕事をなさったことがあった。その関係で、「金森藩」と言う珍しい名前をNetの中から見つけ出されて、そのHP主宰者である私のことを探し出して、Oishi氏に連絡されたのです。実に数奇な情報の糸を辿って、Oishi氏と私が繋がったのであります。
これも、もるげんさんが、あの銅像写真を見つけて下さったからのことであります。感謝致しております。
Oishi氏から頂いた上郎幸八翁写真は、正しく、私の実家のアルバムに貼られている写真と同じでした。しかし、私の実家の写真はアルバムに貼られた写真ですが、Oishi氏から送られて来た写真は立派な装丁がなされていて、写真の額のような作りも立派で、保護のために薄い和紙のようなもので覆われていました。こうした装丁があったからこそ、Oishi氏が、特別な関心を払われて下さった由縁だと思います。いろいろと上郎幸八翁に関して調べて呉れたのも、ありがたいことだったと思っています。
もるげんさんには報告しなければならないことですから、ご報告差し上げました。多謝。m(__)m
2015/07/04 Sat 18:14 [No.1060]