Net4u レンタル掲示板を作る
Woody web
加賀と越中の一向一揆の歴史跡を訪ねてみました。
加賀(現・石川県)は、隣の越前(現・福井県)や越中(現・富山県)と共に、「越の国」でしたが、一向一揆で一揆側が勝ち、富樫守護を滅ぼしました。それで、加賀の国は「百姓の国」となり「越の国」ではなくなったのであります。
金沢市街の南端に富樫正親守護が根拠地としていた高尾城がありました。現状では、城郭等はなく、土塁跡だけが残っています。そこからは、金沢市内や加賀平野が一望できます。一向一揆勢に追い詰められて、ここで自刃したのであります。
金沢で寮生活を同じくした仲間と寮の近くのホテルに泊まり、昔の街を懐かしんで歩いて、一夜を更かて飲みました。
昔の、町並みは大きく変わっていました。飲み食いした店はなく、50年もの時間を感じました。ただ、50年も喫茶店はひとつだけ残っていました。町には市内電車はなく、バイパスが大きく中心街を囲んでいました。
泊まったホテルは、11階立てで、当時の風景では考えられない風景でした。金沢の街は、古くて、戦争にも遭ってませんから、変わるところと変わらないところの変化が著しいところも多い。
2016/05/15 Sun 16:55 [No.1597]
Woody web
泊まったホテルは、女社長で有名な金沢本社のホテル。
やはり、外国からの旅行者(中国人だった)で満杯。
予約を早めに採ったから、泊まれた。
2016/05/15 Sun 19:47 [No.1598]
もるげん
Woodyさん、今晩は。
加賀(金沢)人の気風について、しばらく金沢に在住した先輩から聞いたことがあります。
先輩曰く
金沢の人がその出身地を離れると、帰って来た時は他所者扱いされ、地域社会から心を開いて受入れて貰えない、という閉鎖的な気風である。
「一旦家を離れれば長男でも赤の他人」という言葉さえあり、とくに家を継ぐ長男は、修業のためであっても故郷を離れるのを嫌う。 この空気は金沢に限らず、地方では何処にもあるようだが金沢は極端なように思う。
さらにその原因は次のように考えられる。 「難しい事は言うな、南無阿弥陀仏と唱えさえすれば極楽往生間違い無し」という単純な考え方の風土があり、それが戦国時代に「百姓の持ちたる国」を造った。 またそのため為政者の弾圧が繰返された。 江戸時代には幕府に弱みを握られまいと、国中が結束せざるを得なかった。 この歴史的背景が、他国者や他所から赴任した為政者に対してだけでなく、他国に出て帰った身内にも気を許さない気風を育てたようだ。
と
貴兄はどのように感じられました?
2016/05/21 Sat 19:41 [No.1602]