フィッターR
ポケモンは、我々が最も簡単に心を通わせる事の出来る生物であり、我々が最も簡単に手に入れる事の出来る殺戮兵器である。
――ポケットモンスター・ジャーナル誌――
「寒い……」
雪を被った木々を眺めながら、彼女は独りごちた。
寒い、という感覚を直接肌で感じたのは、これが生まれて初めてだ。
生まれてから季節も1巡り程度しかしていないし、雪の降る季節は外に出る事も無く、適切な室温の部屋の中でずっと過ごしていた。
だが、この厳寒の森も、ストーヴの焚かれていたかつての自室も、結局の所、あまり違いらしい違いは無い。
欠けている温もりが、肉体的な物か精神的な物か。その程度の違いだ。
ほんの数日前までは、鉄条網に囲まれた箱庭の中が、彼女にとって世界の全てだった。
リノリウムに囲まれた殺風景な建物の中で、寝起きし、講義を受け、身体検査を受け、たまに建物の外に出たかと思えば、様々なポケモンを相手に、延々と戦う。
そんな日々をいつから過ごしていたのか、思い出すことも出来ない。物心付いたばかりの頃から、ずっと彼女はそんな生き方を強制されていた。
母親の顔を見たことは無い。父親だという存在――「君の父上だ」と他人に言われただけで、本当に父親なのかどうかは彼女自身も知らない――も、せいぜい2、3度顔を見た程度で、会話を交わしたことすら無い。何をするにも1人きりでさせられたために、友人も居ない。彼女に教育を施したニンゲン達もまた、腫れ物にでも触れるかのように、彼女に必要以上の接触を試みることは無かった。
最初の肉体の大きな変化を迎え、幼少時代を過ごした箱庭を去る事になった時も、彼女はその地に未練を抱く事は無かった。
あんな場所、家と呼ぶのもおこがましい。強いて言うならば、自分と言う『製品』を製造するためにある工場とでも言うべきだろうか。
言葉と文字を覚える為に読んだ本に載っていた『家』と言う物は、そんな物では無かった。
父親が居て、母親が居て、兄弟姉妹がいて。話をしたり、遊んだり、喧嘩をしたり。
そんな『家』が実在するのかどうかは分からない。空想の産物なのかもしれない。
だが、その『家』に、彼女は嫉妬にも近い羨望を抱かずには居られなかった。本の中の『家』が憎たらしくて、その本をズタズタに引き裂いてしまった事もあるほどだ。
何故私には、こんな暖かい生活が与えられないんだ。何故私には、生物とさえみなされていないような、暗く冷たい生活しか与えられないんだ。
何度も何度も泣き濡れた。そして、悟った。
書物の中の存在と自分を比較しても、何も生まれない。
自分に出来るのは、只自分の置かれた現実を受け入れ、生かされるままに生きる事だけ。
私は、部隊を率い、敵を倒すために製造された兵器。
一般的な個体とは異なる青い鱗を持つ、森蜥蜴ポケモン・ジュプトルの肉体も。
この世界に存在する他のあらゆる物体との区別のために付けられたのであろう、レナという名前も。
冷たい場所は嫌だと嘆きながらも、温もりを手にすることも諦めてしまった心も。
自分が有しているもの全ては、戦場で酷使され、血と泥にまみれて使い捨てられるために存在しているのだと。
そんな諦観を、無理矢理心に刻み込む。
馬鹿げた考え事をしていられるのも、今この時が最後。
これからは、敵を倒すこと、味方を生かし、自分が生き延びる事に、使える限りの頭脳を使わねばならない。
それを怠ってしまえば、その先に待っているのは敗北と自らの死だけ。
それが、彼女――レナが生きることを定められた世界の、唯一にして絶対のルールだ。
2011/06/28 Tue 23:57 [No.407]