kaku
プロローグ
地上に灯る無数の光は、遠く空の彼方にある星の光をかき消し、夜空に広がる漆黒の帳をかすませていた。夜の街を昼間と同じように機能させるため―――厳密には、昼間と同じように機能するよう、人間を働かせるため―――闇の中に描き出された世界には、闇などなく、喧騒に溢れていた。
新宿、歌舞伎町。
ネオンに照らされた歓楽街にはホストクラブやキャバクラが並び、一日の仕事を終えた者たちにとって、我が家とは違うもうひとつの「帰る場所」となっている。ドンキホーテ本店前では、合法・非合法入り交じった客引きやキャッチが道行く人々にしきりに声をかけ、妙に甲高い独特の声が数多く響いている。
映画館などを目的に来た人々で賑わう昼間とは、全く違う顔をみせている。時代は変われど、夜の街は、健在であった。
そんな歌舞伎町のなかに、小さな路地があった。
人一人がやっと通れる程の幅しか無い、まさに裏路地というようなその道に面して並ぶのは、様々な建物の裏口だ。たまに、大通りに面して入口を広げる建物の裏側にたつような、小さな飲食店があり、そんな店に限って通をうならせたりするようなものをだす。
そんな路地の奥・・・・コインロッカーの看板をくぐり、ちょうど、袋小路の行き止まりにあたる位置に、小さな二階建ての建物があった。灰色をした、鉄筋コンクリート建ての建物であるが、入口は、その袋小路にしかない。
そんな、喧騒に取り残された、異界の入口のようなドアのノブに手を伸ばす者がいた。暖かい春の夜には不釣合いなトレンチコートも、足を覆うタイツも、何本ものベルトを巻きつけたようなデザインのロングブーツも、すべてが漆黒。夜の闇に溶けるように、全身に黒い服を纏っているが、腰まで伸びた明るい金色の長髪は、寧ろ暗黒の中に光を灯したかのように、その姿を際立たせている。
色白な細い指がドアノブを掴み、左に回そうとする。しかし、ドアノブはガチャガチャと音をたてるだけで、全く動かない。
「鍵がかかってる・・・・」
少女は、そう言うと、ドアから離れた。
「開かないならば・・・・」
先程までドアノブを掴んでいた手の掌を上に向ける。すると、そこに金色の光が灯った。最初は点ほどの大きさの光は、徐々に膨張し、握り拳ほどの大きさになったとき、弾けて消えた。
そして、そこに、ダーツの矢――その矢のことも、ダーツと呼ぶ――が残った。
針だけでなく、バレルも、そしてシャフトまでもが黒光りする金属で出来ている。明らかに、普通のダーツとは違ったものだ。
「開けるまで!!」
少女は、叫ぶと同時に手の上のダーツを握り、勢いをつけて、ドアに叩きつけた。すると、ダーツの針は、深々とドアに刺さった。
「だっ!!」
ダーツから手を離した少女が、ドアから生えたダーツのシャフトに右手をかざし、気合の声をかけた。一瞬、シャフトが金色に光った。直後、そのダーツを中心に、ドアの上に放射状の模様が走る。金属製のドアに、亀裂が入っているのだ。
ガラガラと、音を立て、ドアが崩れた。同時に、ダーツも、金色の光に変わり、消える。
少女が、その破片を踏んで、建物の中に入る。同時に、建物の中から、男の声が少女に問いかけた。
「なんだ、お前だったのか?」
余りにも、いろいろとすっ飛ばした発言。ドアが破壊されたというのに驚きもせず、笑いすら混じったその声の主は、襲撃されることが分かっていたばかりでなく、少女の正体をも知っているようだった。
そして、少女もまた、その言葉に動揺することは、ない。お互い、正体を隠す気は無いのだ。
「他の連中の姿が見えないところを見ると・・・・今夜はあなただけ、なの?」
部屋の中を見まわし、少女が言った。コンクリートの打ちっぱなしの室内には、明らかにその場に似合わないような、お洒落なガラス製テーブルと、それを囲むようなワインレッドのソファだけ。そんな、殺風景な部屋の中央で、ソファにただ一人座る男が、立ち上がった。
「ああ、そうだ。お客さんが来るとは分かっていたら、もうちょっと人を集めていたのだけれど」
オレンジ色の長髪を揺らしながら、細身の男が、少女へと近づいていく。
「そう・・・・ありがとう。それは残念ね。でも・・・・」
カツ、カツと響く、ゆっくりとした靴音が、少女へと迫る。少女はその場を動かない。しかし、その目は、男をしっかりと捉えていた。
「用があるのは、あなたよ!!」
そして、その右手を、体の前で目いっぱい振る。
少女の手元で、黄色い光が灯った。ドアを破壊するのに使ったダーツを一瞬で作り出し、同時に男へと投げたのだ。
「おおっ!!」
それを見た男は、目を見開かせ、口角を釣り上げる。そして、目にも留まらぬ速さで、その手を頭上へと持っていった。
カン、という金属音。
同時に、男の眼前で、またも黄色い火花が散った。
高く掲げられた男の手には、黒い柄のナイフが握られていた。刃渡りは20cmほどあり、出刃包丁の柄を大きくしたようなものだ。
「ちぃっ!!」
自分の攻撃が通じなかったことを知った少女は、舌打ちをしながら、再びその腕を大きく振る。今度は、黄色い光が三つ灯って、それと同じ数だけ、漆黒の矢が放たれた。
矢は、男の顔面を目がけて真っ直ぐに飛ぶ。
男は、見えぬほどの速さで右腕を動かす。
カン、カン、カン、と三つ音が鳴り、三つの黄色い火花となって、矢は消えた。
「ふふん」
先程までの笑を崩さず、男が得意げに鼻を鳴らす。そして、驚きを隠せないでいる少女に向けて、一気に踏み込んだ。
「ひゃっは!!」
今度は、男のほうが、少女の顔めがけて、ナイフを突き出す。
「だっ!!」
目を貫こうとした鋒を、少女は、間一髪のところで弾き返した。その右手には、三本のダーツが握られている。針を上にして、それぞれの指でシャフトを挟み、ちょうど猫の手のような形だ。
「はは、そんな風にも使えるのか!!なら、これは!!」
そう言うと、弾かれた右手のナイフを放り投げ、左手でそれをつかんだ。そして、そのまま少女の体を目がけて、一気に横に薙いだ。
「がっ!!」
少女は、手に持つダーツの爪で、その一閃を受け止めた。鈍い音とともに衝撃が伝わり、少女の華奢な体が吹き飛ばされ、壁に激突する。
「ははは・・・・残念だけれど、今日のところは終わりだ」
左手に持ったナイフを、再び右手に持ち替え、男が少女の方へと歩いて行く。三白眼は不気味に輝き、嗜虐的な笑を見せている。
「くっ・・・・」
もはや勝負は決していたが、それでも少女は諦めない。再びダーツを作り出そうと、掌に黄色い光を灯す。
だが、男は、少女の反撃を許さない。
「おっとぉ!!」
金色の輝きが、黒い矢に変わる前に、男がナイフを投げた。ナイフは少女の肩に刺さり、白い肌に鮮血が伝う。
「ぐっ・・・・ああっ!!」
少女の手から金色の光が消え、その顔が苦痛に歪んだ。血の量はさほどでもないが、骨を避けて刺さったナイフは腕を貫通しそうなほど深く刺さり、激痛を巻き起こした。
そんな姿に、男は興奮を覚えたらしく、今までより一層不気味な笑顔を浮かべる。
「ふふ・・・・アハハハハハ!!」
顔は酔ったように紅潮し、笑い声は裏返って甲高いものになる。
「大丈夫だ・・・・」
少女の方へと歩み寄る男の右手に、バチバチと静電気が走る。そして、電気の中から一瞬で、先程投げたものと全く同じ形状のナイフが現れた。
「今から、君を殺すけれど・・・・」
そのナイフを、男はまたも投げた。ナイフは、少女の太腿に刺さった。
「いっ・・・・ああっ・・・・!!」
引き裂かれた黒いタイツの下から、白い肌と、赤い血が覗く。
立ちあがり、その場を離れることすらできなくなった少女を追い込むように、男はその眼前に立ち、そして少女を見下ろして言った。
「なに、命までは奪いはしない」
矛盾した言葉・・・・殺しはするが、命は奪わない。この言葉に、彼がこめた意味を、少女が考えることはない。否、その言葉を聞いてすらいなかった。少女の頭にあるのは、今この窮地を如何にして逃れるか、ということだけなのだ。
そんな思考をあざ笑うかのごとく、屈みこんだ男は少女の口を押さえ、顔を少し上に向かせた。抵抗することができなくなっても、その目だけは反抗的な光を宿している。しかし、その目には同時に涙も滲んで、強がりも相当に含まれている事がわかる。
男が、拳を振り下ろそうとした。ナイフの刃先は、少女の喉元を狙っている。
少女は、瞼を閉じることはない。ただ、敵にまったく敵わないことを嘆き、悔し涙を流すだけだ。
銀色の切っ先が、か細い喉首を引き裂こうとした、その時。
タン、という音が、コンクリートの部屋に反響した。
次に、ナイフが地面を転がる音が響く。
「あ?」
手を止めて、男が振り返る。
そこには、銃を構えた男がいた。身に纏う真黒なスーツの下は、これまた黒いワイシャツで、血のように赤いネクタイが強烈に自己主張している。整った短髪の似合う精悍な顔には、わずかに怒りを浮かべていた。
そして、その手には、ハンドガンが握られていた。銃弾が、男の手に持つナイフをはじき飛ばしたのだ。
「その子から離れろ」
低く、屈強な印象をあたえる声が、男に命令する。その目も、真っ直ぐに男を見据えている。ナイフに向けられた銃口が、彼の頭を狙えば、寸分違わずその額に穴を開けるだろう。
「くく・・・・なるほど」
銃を向けられた男が、目を細め、笑った。
「いいぜ、連れていきなよ。僕の負けだ」
そして、あっさりと負けを認め、両手を挙げたまま少女から離れる。そのまま、男は階段を上がり、ニ階へと向かっていった。
スーツ姿の男が、少女の元へと駆け寄る。
「大丈夫か・・・・」
「うん・・・・なんとか・・・・」
少女は、涙と脂汗を流しながら、必死で笑顔をつくったが、スーツの男はそれを見ていない。苦しそうに呼吸を乱す少女の顔を、みたくないのかも知れない。
「・・・・大丈夫そうじゃ、ないな」
血まみれになった腕と足を見て、スーツの男が呟いた。そして、布を取り出し、慣れた手つきで止血して、少女の体から生えるナイフの柄に手をかける。
「少し、ガマンしろ」
そして、そのまま一気に力を込めて、ナイフを抜いた。血管の中で堰き止められていた血が溢れ、同時に傷口に痛みが甦る。
「ん・・・・んぅっ!!」
目を固く閉じ、歯を食いしばって、少女は叫び声を押し殺した。
「すまなかった・・・・やはり、俺もついてくるべきだった。俺の、ミスだ」
そう言いながら、スーツの男は、少女の方とひざ下に手を回し、少女の体を持ち上げた。俗にいう『お姫様抱っこ』の形である。
「ううん、私が、悪かったの・・・・一人で、行くなんて、偉そうに言って・・・・ごめんなさい・・・・」
腕の中で、少女は男から目を逸らし、そして涙を流した。
スーツの男は、そんな彼女の顔をみることなく、ただ真っ直ぐに、建物から出て行った。
「・・・・傷は、すぐに治る。今度は、二人で来るとしよう」
「・・・・うん」
明らかに怪しいその男女を見たものは、この日の歌舞伎町には、居なかった。
2011/02/09 Wed 00:28 [No.123]