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下田 柿崎弁天島

木曽 武

JPG 1936x1936 1431.5kb

嘉永7年(1854)3月、吉田松陰は金子重輔とともに、海外渡航を企て、下田柿崎弁天島の祠に身を隠し、
夜 小船を漕いで米艦ポーハタン号に辿り着いたが、この時の日米の約束の前に、外遊三年の夢は挫折した。

   世の人はよしあし事もいはばいへ
              賊が誠は神ぞ知るらん
                 (松陰、下田平滑獄)

吉田松陰と金子重輔が、伊豆柿崎弁天島から密航しようとして失敗し投獄されたその翌年、安政2年(1855)西伊豆の戸田港から、幸運にも、ロシアへの密航成功した人物が居て、およそ20年もの間ロシアに滞在し、役人まで務めた。
 「橘 耕斎」と言う・・・。不幸 挫折に終わった松陰と大違いだ。。。

2016/01/02 Sat 13:36 [No.228]