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杉さんぼく
天皇、天皇制、天皇制ideologyと言うことの思想史上の相違かも知れません。
天皇存在価値、天皇存在制度、左翼言語から生まれた天皇制ideologyのあり方が、最も顕著に問われたのが徳川幕府末期でしたから、それは桂書簡にいう「玉」の認識観念でもあきらかです。
そんな天皇「玉」取り騒ぎの戊辰戦争、波及の東北は会津、庄内にとって不幸だった奥羽列藩同盟(明確にはどうか判りませんが)での、米沢の離反でした。
米沢藩の、義理と人情を量りにかけねばならない義には、「玉」の価値より、制度への読みがあり、会津の不幸は「玉」孝明天皇辰翰にあった、と言っても過言ではないのではないでしょうか。
九重・菊と荊冠旗は、やはり現代までも続くタブーかも知れまい。
知れば迷ひ、知らねば迷ふ恋の道(豊玉)
と言うところでありましょう。
2015/08/05 Wed 15:36 [No.86]