No.86へ返信

記事投稿フォーム
題名
名前
補助
本文
他の入力項目
編集キー
  
送信

玉としての天皇

杉さんぼく

天皇、天皇制、天皇制ideologyと言うことの思想史上の相違かも知れません。

天皇存在価値、天皇存在制度、左翼言語から生まれた天皇制ideologyのあり方が、最も顕著に問われたのが徳川幕府末期でしたから、それは桂書簡にいう「玉」の認識観念でもあきらかです。

そんな天皇「玉」取り騒ぎの戊辰戦争、波及の東北は会津、庄内にとって不幸だった奥羽列藩同盟(明確にはどうか判りませんが)での、米沢の離反でした。

米沢藩の、義理と人情を量りにかけねばならない義には、「玉」の価値より、制度への読みがあり、会津の不幸は「玉」孝明天皇辰翰にあった、と言っても過言ではないのではないでしょうか。

九重・菊と荊冠旗は、やはり現代までも続くタブーかも知れまい。

知れば迷ひ、知らねば迷ふ恋の道(豊玉)

と言うところでありましょう。

2015/08/05 Wed 15:36 [No.86]