Net4u レンタル掲示板を作る
杉さんぼく
国持ちの土佐藩は、明治3年全国に同じて論告を出しました。人間平等論、いわゆる平均四民論です。
各藩独自性もあったようで、土佐藩は
「階級によらず人間人々自由なる貴重の産物を知らしめる、古来からの武士(もののふ)の士は言葉の間違いだった」
と、他藩以上に過度な論告を行いました。
やはり、山内氏、長宗我部氏(チョースガメ)間における反目思想により、土佐風土を疎かにし、領民敵視政策が形成される様になり、農民が下士を敵視した場面は多分にありました。
わずか5万石の山内氏が、24万石にまでなって、土佐を収める話は数年前のNHk大河ドラマで明らかになりましたが、この山内氏により郷士制度を新設する事で差別構造を造り上げてしまいました。
これに伴う中で、斬り捨てごめん権すら与えられた訳です。
当時の上士盛組の歌に
「士の命は君にあり、いつも試せよ我が刀、にえと匂いの銘文と…」
とあり、豪気さがありました。
その象徴的な事件が、井口村門前事件に遡る60年ほど前の、寛政年間(1790年代)に起こる高村退吾事件です。
酒席の場に上士井上某が、郷士高村退吾を呼び、刀剣の目利きをさせたが酷評されたので、武士のあり方の間違った行き過ぎで斬殺してしまい、井上某は御咎めなしの処分に終わった事件でした。
これに郷士は激怒、国中の騒ぎになり、翌年藩はやむなく井上某を追放処分にする事で収束、これらの因縁が、郷士任命の天保庄屋同盟(天子を持ち上げた万民思想)から土佐勤王党に結びつきます。
やがて、こうした素因が土佐自由民権運動にまで発展したのではないか、と思われてなりません。
2015/07/15 Wed 22:27 [No.13]
京都歴史研究会代表
恥ずかしながら、全く知らない人物でした。
紹介有り難う御座います。
2015/07/20 Mon 10:50 [No.34]
京都歴史研究会代表
> 恥ずかしながら、全く知らない人物でした。
>
> 紹介有り難う御座います。
2015/07/20 Mon 10:51 [No.35]
杉さんぼく
この事件はあまり知られてないのではないでしょうか。
上士、下士と言うよりやはり、山内氏、長宗我部氏の対峙に郷士エネルギーがくすぶっていたのかも知れません。
幕末維新前夜に起こる井口村永福寺門前事件は、他方に庄屋同盟を孕んだ事件でもありました。
昭和敗戦記念から70年、そうした中での50年と言う月日の流れが、どの程度かは類推出来ると思います。
2015/07/26 Sun 15:47 [No.63]