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杉さんぼく
旧暦は明治5年11月9日に司法省令第22号により、12月3日を明治6年(1873)1月1日としました。
従って、明治5年は12月2日まででした。
だから、明治6年1月1日(12/3)以降は現代暦で解釈します。
余談ながら例えば、池田屋騒動は元治元年6月5日(新暦1864/7/8-金)に起こっていますが、新撰組ファンならご存知の、通説にいう祇園祭の宵宮ではありません。
正しくは宵々山であり、6/5は曳き初めとかで宵宮は6/7でした。
それに山鉾巡行は、昭和41年まで前祭(7/17)と後祭(7/24)に分けての巡行があり、現在の7/17〜18になり、だからこそ俗に後の祭り、と言うようになったとかで、近年、再び二回巡行になりました。
ついでながら、桜田門外の変も正しくは安政7年です。
何故ならその15日後の、3/18(1860/4/8日)に万延元年と改元されたからです。
最近では、正しい安政7年年号で紹介されつつあります。
、
では龍馬暗殺は…?。
即死なら、慶応3年11月15日(1867年12月10日・火曜日)初夜(20:00頃)でした。
或いは16日(11日・水曜日)かも知れませんが、とにかくも11月15日(12/10火)として、方や通説に云う龍馬生誕についてはどうでしょうか。
正しい記述は、天保6年11月15日(1836年1月3日)です。
天保6年(1835年)11月15日とか、1835年(天保6年)11月15日とあるなら、それは間違いで、作家であれ、歴史家・研究者であれ正確ではなく信頼は出来ません。
また、坂本龍馬(1835〜1867)とある表記も然りです。
1835は、1836〜1867とするのが正しい記述です。
因みに天保6年は閏7月があり、1年は13ヶ月の384日ありました。
こうした基本的な歴史年号を教える歴史の教師は、教育現場には多分皆無でしょう。
なぜなら、何年に何々があった、起こった等で年号を覚えるのが歴史と思わされているのですから。
そして、今度はそれを教える側になるのですから。
歴史は現代であり、現代は歴史なら、正しい月の満ち欠けに拠る旧暦が記載された、新旧年表をもってして教えて貰いたいものです。
2015/07/15 Wed 22:14 [No.12]
木曽 武
杉さん こんにちは
結構たくさん書き込みましたね!
面白いです! もちろん勉強になります。
明治6年1月1日(12/3)は水曜日だったそうですが、間違いないですか。
2015/07/16 Thu 16:48 [No.14]
杉さんぼく
はい、明治6年1月1日(12/3)は水曜日で間違いありませんよ。曜日記載の万年新旧暦は会長代表も持っておられます。
新旧暦は、明治以前歴史の基本中の基本ですからね。
君が代斉唱に目くじらたてる、文科省もなぜか教えようとしません。
2015/07/18 Sat 08:50 [No.23]
京都歴史研究会代表
祇園祭は…御霊会。
初め山鉾巡行は神社とは関係の無い行事で、明治以前は、雑色と呼ばれる人たちの支配になっていました。
巡行の前夜祭は、宵宮ではなく宵山になります。
天神祭は…天満宮の神事ですから、宵宮ですね。
八坂神社の神事では…宵宮ナンチャラと云うようです。
鉾町では、前夜祭を宵山と云うのでしょうね。
2015/07/17 Fri 20:31 [No.20]
杉さんぼく
山鉾巡行は四条通りまでが優雅な祗園囃子の流れと共に進む、八坂祗園社への奉納神事で、河原町の辻回しからは、戻り囃子音色に乗って鉾町に戻ります。
2015/07/18 Sat 08:56 [No.24]