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妙満寺の鐘

奥津希多世ママ mail

数年前、能の初舞台デビューで道成寺を観ました。
これは歌舞伎での演目、「京鹿子娘道成寺」として有名、南座での上演に際し、歌舞伎役者は妙満寺の鐘にお詣りする、とされています。
今は移転した岩倉の妙満寺に、京歴会代表と行った折はさして話題にはなりませんでしたけどね。
そこで調べて見ると…。
紀州道成寺の鐘は、高さは1m安珍・清姫の鐘として妙満寺資料館に安置されているそうですね。
寄進正平14年(1359)の銘の鐘、なぜここにあるのでしょう。
幕末期、老中間部詮勝が井伊直弼の意を受けて入洛、当時は寺町二条にあった妙満寺を拠点に、長野主膳などを中心として活動、その結果、安政の大獄の歴史を名に残しました。(ちなみに、上洛、入洛は高貴な大名クラスを指す場合に使われ、新選組が上洛、入洛とするのは間違いで、上京が正しい、と奈良本史学門の高野澄氏は指摘する)
松陰は間部詮勝老中を襲撃する予定だった、と白州で訴えた為、井伊直弼は死罪の朱筆を入れた、とされました。
その拠点だった妙満寺は大獄後、長州本陣となり、秀吉が石山本願寺制圧後、その跡に大坂城を築いたように、長州は妙満寺を本陣にする事で、松陰の間部詮勝老中に対する想いを果たしたのかも判りませんね。
京都オークラホテル前に桂小五郎の銅像があり、この像がその元妙満寺跡の方を見つめているのは、さてさて、偶然でしょうか、はたまた意図的でしょうか。

2015/07/19 Sun 11:12 [No.32]