藤原改新
神戸にある湊川神社(楠公さん)の御祭神は楠木正成、子正行及び、弟正季以下一族十六柱並びに菊池武吉である。楠木正成は元弘元年(1331年)9月に後醍醐天皇の命を受け、鎌倉倒幕の兵を挙げ、執権北条氏の大軍と戦った。奇策智謀に優れ、鎌倉幕府を崩壊に導き、「建武中興」に大きな功績を立てた。しかし、まもなく足利尊氏が背き、一度は九州へ敗走したが、再び勢力を盛り返して京都に攻め上がってきた。正成は子正行に後事を託して桜井の駅で別れ、湊川で迎撃した。敵は数万に対して、味方は七百余騎、激戦の末、衆寡敵せず。延元元年(1336年)5月25日、「七生滅賊」を誓って、弟正季以下一族の人々と共に、殉節を遂げた。元禄5年(1692年)徳川光圀(水戸黄門)は、家臣の佐々宗淳(助さん)を遣わして碑石を建て、光圀みずから表面の「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字を書き、裏面には明の遺臣朱舜水の作った賛文を刻ませた。この墓碑建立によって、幕末から維新にかけて、頼山陽・吉田松陰・真木和泉・三条実美・坂本龍馬・高杉晋作・西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・伊藤博文などは、皆この墓前にぬかづいて報国の至誠を誓い、国事に奔走したのである。
2015/08/14 Fri 21:15 [No.94]