杉さんぼく
西郷頼母の家族自刃で、西郷家口伝に、介錯は薩摩の中島信行(実は土佐だが)と通説にありますが、当時、中島作太郎信行は会津には行っていない、それは中島茶太郎の間違いだろう、と土佐の史家平尾道雄が論を唱えました。
ところが、、西郷家口伝に薩摩とある中島信行、実はこれは薩摩の「川島信行」が正しかったんですね。
活字、誤写で「川」「中」にデフォルメ喧伝された訳です。
この川島信行の談が、絵本西郷一代記かに記載がありますから、間違いないでしょう。
中島作太郎、茶太郎がもやもやしていましたから、これで一件落着です。
(参考資料は堀田節夫氏による)
2015/08/14 Fri 05:55 [No.93]