杉さんぼく
相楽総三について触れたい。
というのも、学者志士相楽総三が郷学校設立を熱望していたのは全く知られていないからです。
以下、森安彦国文学研究資料室教授の講演(1994/7/28)を参照に紹介しましょう。
まず、ここに荏原郡(東京世田谷)に、郷学校を作った髪結い渡世の常次郎なる人物がいます。
明治維新政府は、財源のないままに各村で寺子屋とは違う学校を作らせようとしする中、郷とは村、村で学校を作らせる政策に出たのです。
そこに常次郎、独学で学び、世の中どうなってるんだ、と当時齢50歳にして子供三人を伴い、明治3年に帰郷するまでの時代を倒幕運動に奔走し、赤報隊に息子を引き連れ参加します。
この偽官軍事件での追放を受けを、斎藤寛斉と称した彼は、学校作りに呼び掛けます。
それは何故か。
相楽の意思であったと断じています。
建言書(明治18年)
謹而奉建言候
「……相楽総三ナル者拙宅江参リ面会ス、水魚交盟ヲ給ヒ……就而同氏存命ノ節…輩ニ替リ国ニ学校蒼立依頼サルル、同氏之心底感絶ス……」
知られざる相楽総三の逸話で、改めて認識を新たにした思いです。
2015/07/27 Mon 22:59 [No.67]