奥津希多世ママ mail
いわゆる南北朝の南朝57年は後醍醐天皇に始まるが、幕末維新では南朝正統論が沸騰した。
その嚆矢は水戸学にあり、大要は明暦3年(1657)水戸光國主導の大日本史(明治39年=1906)と、頼山陽の日本外史・日本政記につきる。
それが室町時代は逆賊とされた楠木正成の復活を呼び、南朝正当論に拍車をかけ、幾多の幕末維新勤王の志士・文人墨客たちをして湊川神社に詣でさせたのである。
本来、幕末維新研究において逃れられない南北朝天皇問題だが、維新の志士たちにその認識知識がどこまであったかどうか。
我々ですら、今の天皇が北朝系であるのはあまり知らないだろう。
249年かかった大日本史完結から5年後の、明治44年その南北朝正閏論が起こった。
明治天皇は北朝系だったが、これを憂いて同年3月3日、北朝をも尊崇しながら南朝正統の勅栽を下した。
ちなみに孝明天皇は、北朝正統論者だったようである。
以上、概略参照は「南北朝史論」(村田正志著-中央公論社昭和24年刊)
2015/07/24 Fri 07:28 [No.54]