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幕臣高橋泥舟伊勢守

杉さんぼく

高橋泥舟遺稿の話です。

泥舟の言うには、江戸で清河八郎結成・虎尾の会に龍馬も名を連ねて面識あったその八郎が後年、佐々木只三郎に暗殺された遠因は、清河が佐々木を軽んじ論破して馬鹿にした尊大な態度だった事にある、佐々木は快くおもわなかったので清河は殺される羽目になった、と…。
泥舟はそう確信していたようです。

虎尾の会には義弟山岡鉄太郎鉄舟が幹部に名をなし、江戸にあっての龍馬にとっては同門ネットワークでした。

小太刀では太刀打ち出来ない清河に、打ち負かされていた佐々木なら遣りかねない、と思っていたのは義弟山岡(小野)の考えもあったのかも知れません。

高橋泥舟伊勢守政晃(山岡精一)は、勝海舟・山岡鉄舟の幕末三舟の一人です。
その遺墨は高値で、子母澤寛氏の名著「逃げ水」ではその主人公として、同氏三部作「おとこ鷹・おやこ鷹・勝海舟」とはまた違った重みで、見事に幕末維新が描かれています。
中公文庫にありましたが、現在、書店から消えているのは残念な限りです。

ともあれ、清河八郎暗殺に佐々木の私怨があるなら、江戸の頃に清河繋がりの龍馬にも佐々木の私怨があるなら、見廻組説も信憑性があるかもわかりません。

が、この絡みを利用された、としたならどうでしょう。

幕末三舟は何も語りませんでした。

参考までに、佐々木只三郎については、龍馬とも面識あった幕府目付の杉浦梅譚正一郎日記に記載がありますが、松浦玲氏はさすがにご存知でした。

宮地佐一郎氏編纂の龍馬全集批判をしたあの松岡司氏は、残念ながら未見だったとかで、知らずして梅譚日記を紹介した松浦氏に反論するのもまた異なものです。

虎尾の会で、清河や山岡に近い池田徳太郎が龍馬惨殺を家伝に残している、と何かの資料にありましたが、まだ行き当たらずで、方や龍馬と松平主税助、松平大隅守との繋がりも気になります。

浪人龍馬ネットワークに繋がる勝海舟・松平春嶽・清河八郎・大久保一翁・高橋泥舟・佐久間象山等にもっと焦点が当たればいいのではないでしょうか?。

とりわけ、海舟は師でありライバルだったようで、海舟が幕閣の中枢に抜擢されると手ごわくやりにくい、とこぼす位ですから、海舟も意識したのか、あれだけ多くを語る中でも、龍馬には以後あまり触れないのは、その性格が災いしていると言わざるを得ません。

それに比して、「逃げ水」描く泥舟伊勢守政晃、人格者の良識人で泥舟遺稿、お薦めです。

2015/07/21 Tue 19:44 [No.43]