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気になる人々 その1

大ふへん物

『井伊家史料 幕末風聞探索書 安政五年編』の安政五年八月 京都町奉行与力渡辺金三郎より長野主膳へ密勅降下、青蓮院宮・鷹司・三條等密議の件探索報告より、「薩州候御家来鵜澤信三」なる人物が出てきます。実は薩摩藩士 日下部伊三次の変名なのです。この人物の生涯は文化11年(1814年)、元薩摩藩士・海江田訥斎連の子として誕生。出生当時、父は脱藩して水戸藩にいたので常陸国多賀郡で生まれる。

はじめ水戸藩主・徳川斉昭に仕える。天保10年(1839年)、父の跡を継いで太田学館益習館の幹事を務めた。弘化元年(1845年)、江戸幕府より斉昭が謹慎を受けた際にはその赦免運動に尽力している。

安政2年(1855年)、島津斉彬に目をかけられて薩摩藩に復帰し、江戸の藩邸に入る。安政5年(1858年)、将軍継嗣問題や条約勅許問題が起こると京都に赴き、水戸・薩摩両藩に繋がりを持つ事から攘夷派の志士の中心として京都で活動。水戸藩士・鵜飼吉左衛門らと公家の三条実万に接触し、同年に水戸藩へ密勅が下ると、実万よりその写しを受け取り、木曽路を通って江戸の水戸藩邸へ届けた(戊午の密勅)。しかしこのことが幕府による安政の大獄を誘発し、子の裕之進とともに捕縛される。江戸の伝馬町の獄に拘留され、凄惨な拷問を受けた末、安政5年(1859年)に獄中で病死した。墓所は青山霊園。家督は薩摩藩士・有村俊斎が海江田信義と改名して継承した。

明治24年(1891年)に贈正四位。

実に謎に包まれた、不思議な人物だと思います。

2015/07/18 Sat 18:08 [No.30]