京都歴史研究会・代表
寛文2年(1662)、歴代藩主を祀る『祠堂』(家廟)を水戸城内に建てて、儒式祭祀を始めた。
光圀は寛文6年(1666)家礼に基づく喪祭儀礼を解説した『喪祭儀略』を和文で撰述させ、藩士らの墳墓を坂戸と常磐に授け、自葬儀祭を勧めた
これは光圀が権力者だから出来たことかも知れない
そして喪祭儀略は、写本として流通、改定増補を経て、水戸藩では近世を通じて儒教儀礼が行われ続けた
徳川斉昭(1800〜1860)は喪祭儀略を基に『喪祭式』を編纂、明治になって
斉昭の子、第11代(最後)の藩主:昭武(1853〜1910)によって出版された。
権威ある儒教喪祭儀礼マニュアル書が成立し、儀礼も執り行われてきたが、新しい時代の到来により終焉を迎えている
。
但し、神道式の葬儀『喪祭式』として、儒教の喪祭儀式が取り入れられ変化して、僅かに残り現在に至っている。
2016/01/30 Sat 22:26 [No.241]