杉さんぼく
鳥羽伏見戦で、江戸に帰って「源三郎おじさんは伏見戦で討死なされた…」と、井上家に書簡をあてて伝えていますから、しっかりしたものです。(戦前まで現存していたが、現在紛失で行方不明)
「とかく論議される新選組の功罪や、源三郎の人物批評はともかく、我が家の歴史と伝承は新選組史料とともに永く譲り続けてゆきたいものである」(子孫が語る新選組)(1979)と、孫に当たる故井上信衛(ノブエイ)氏も、武田遺臣であり、1700年に八王子千人同人筆頭とあるのを誇りに語り遺されていますね。
井上源三郎一重(日野八坂神社奉納額)、一武(墓石)。
年齢は30歳(生卒、天保10亥年3月1日、明治元辰年正月4日死、享年30).40歳(新選組始末記)とも…。
結局は首の行方は不明としか言いようがありません。
もって、瞑すべし。
なお、源三郎終焉については、井上資料館長も同行した市川三千代さん(2008)の、淀調査報告があるとの事で擱筆とします。
2015/10/19 Mon 19:26 [No.170]