杉さんぼく
大塩事件に触れます。
天保8年2月19日(1837年3月25日土)の朝、自らの屋敷に火を放って、大坂町奉行与力大塩平八郎中齋が救民救済の為に決起しました。
大塩平八郎の乱として世に伝わる、明治維新より30年前の事です。
幕末維新を語る時、その始まりをこの@大塩平八郎の事件と見るか、或いはAペリー来航と見るかの評価が分かれます。
徳川幕府弱体化のその崩壊の兆しが、外圧からならA、内圧事件からなら@と言うのが、学術的な評価のようですね。
この事件の影響に呼応して、摂津能勢の山田屋大助の乱や、越後の生田万の乱などがあるにしても、やがて来る幕末混乱期にはどうも大塩平八郎事件は関心がいかず、あまりにも有名な忠臣蔵・元禄赤穂事件の方が、勤王佐幕を問わず興味がもたれていたようです。
薩摩藩士などが回し読んだのも赤城義人伝です。(長州藩士もか)
そこには、多分に今も昔も変わらずで、目でみる流行りものに心騒いだ心情があったのかも判りません。
中でも歌舞伎芝居などが人気を博しました。今なら、テレビ、ドラマ、映画に当たるでしょう。
歌舞伎は当時、庶民にも判る世界で、今はかなり高級感がありますから、江戸時代人が盛り立てた歌舞伎ってすごいなあ、の感です。
2015/10/16 Fri 04:33 [No.162]