No.148へ返信

記事投稿フォーム
題名
名前
補助
本文
他の入力項目
編集キー
  
送信

気になる人々 続・藤野齋と千葉重太郎

杉さんぼく

やがて翌7日になって、ようやく山田から、裏判所と千葉より500両を借り出す事に成功、借金清算して東京を後に出来ました。
こうした経緯に藤野の心に残ったのは、山田のような藩官僚への不信と憤懣のなにものでもありません。
考えれば、龍馬と土佐藩京都官僚にも似たような何らの関係があったのでは、と勘ぐれます。
かくして出征者35人中、戦死4人病死2人他負傷の山国隊、明治元年11月25日京都に凱旋しました。
明治5年6月25日付けで、藤野が出した「自弁取調書」には、「255両出兵中因藩御裏判所ニテ借用金額996両ヲ正金ヲ以、千葉重太郎及山田宗平殿へ、帰後金策二付…」
「996両鳥取藩裏判所より軍隊へ金度々借リ入、巳年2月繰り替金ヲ以返納ス」
との記載が見えます。
996両のうちの千葉の500両は、どうにかかき集めて元利と521両余りを、帰郷後直ちに12月の12日に発送返金しています。

明治2年1月21日には、千葉に謝礼として上羽二重一疋を贈っていますから、藤野って人は律義で偉いですねえ。

上記の自弁取調書いわく、軍費7800両のうち4400両を返済し、3400両が借財として残ったそうで、杣山売却等で返済したりした後、明治8年6年終身禄返還により、返納されたようです。

参考
山国隊史(永井登1906)/丹波山国隊史(水口民次郎.山国護国神社1966)/征東日記[山国農兵隊日記](藤野齋-仲村研・宇佐美英機編1985)/山国隊(仲村研1968)

2015/10/06 Tue 06:51 [No.148]