杉さんぼく
梅田雲濱25年祭案内という資料があり、その元資料には、祭主梅田良三さんの部分に梅田印形のあるのが確認出来ます。
ところが、自称雲濱本家という××氏が配付した版があり、それは何度もコピーして潰れた字面で、そこにはそれがなく、痕跡に重ねて見ると、何と故意に梅田の印形を抹消しているのが判明、二枚重ねるとその痕跡は歴然です。
雲濱にはこれだけの弟子がいる、その縁戚だ、と自慢気に配付した資料ですがさらには、月日も9月を8月にして、再び9月に訂正するという資料捏造の痕跡しらも見受けられるのです。
なぜ、祭主梅田良三にある梅田印形を消したのでしょうか。
答えはただ一つ、雲濱こと矢部義質養子説(その系図配付する壬申戸籍では、矢部義質が雲濱である立証が成されていない)を主張したいが故の何物でもありません。
つまり、矢部義質とその父親除籍簿記載がなく、同性同名でもある可能性があるからです。
例えば、資料に名がある謎の海援隊士佐々木多門、明治になってから大阪の副病院長になっていたり(佐々木多聞)、大和郡山高校の教師になっていたりと、別人ながら2人も幕末明治を生きています。
××氏配偶者祖父の矢部義章が、矢部義質(雲濱)の養子になった確かなる立証はありません。
××氏配偶者が、雲濱弟の矢部家であるのは間違いないにもせよ、××氏はその配偶外戚だけのことで雲濱には全く関与せず、昭和初年までの矢部家は、直畿氏が当主との確認があります。(××氏作成系図では絶家とある)
多くの雲濱関係資料を先代健吉氏から持ち出したか借りたかで、××氏曰わく「梅田家には何もない」と公言しています。
昔、××氏が梅田家に相当ひどい事をしたのは想像をしくに余りあります。
困ったものです。
雲濱本家としながら、結局、雲濱遺族墓を京都から奈良に纏められた梅田家のように動く事なく、××氏は安祥院では何も供養法要すらしてません。
余談ながら、6月7日に小浜で雲濱生誕200年顕彰祭が行われ、小浜郷土研究会副会長さんに、ある人が××氏の名を出すと、××さんの…と口ごもり表情が強ばり、××さんにはえらい目にあった、と言われて嫌悪感を抱かれました。
××氏自身が招いたその系図偽造、資料偽造、資料孫引き等によって、小浜では今や信用が失墜しているのは否めず、もはや相手にしないと思います。
その××氏が顧問をする会は、もはや騙る会と化しました。
(杉さんぼく)
2015/07/15 Wed 19:03 [No.10]