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京都歴史研究会代表
その理由を遡るならば、
鳥取城主池田氏が、切支丹信者であったことから…
その博愛の精神が生まれていることが分かる。
信仰は自由であると保証していたのだ。
※池田家は、池田信輝に始まった切支丹の流れを組む家柄である。
(※寛永9年(1632)から明治2年(1869)の廃藩置県までの約240年間、鳥取城主につき、因幡.伯耆32万石を治めた池田光仲とその子孫12代を鳥取(因州)池田家と呼び、鳥取藩(因州藩)の藩祖としている。
尚、光仲は徳川家康の曾孫にあたり、徳川幕府と深い関係から、藩主の名前は時の徳川将軍の名前から一字を貰い付けられている。(例/3代将軍:徳川家光→初代藩主:池田光仲))
池田家歴代の入信†は西洋の優れた物資.精神文化をいち早く取り入れ、一国の文化を高め、富国強兵を図った名君による思慮で、
結果、西国の将軍と勝せられるまでになっていた。
そんな、鳥取池田藩だからこそ、殉教者皆無、ゼロの
全国的に稀有の素晴らしい事実を生み出したのであった。
参考文献切支丹灯籠の研究/松田重雄著/(株)同信社発行
2015/09/27 Sun 19:33 [No.142]