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  1. [141] 殺伐とした下克上の戦国時代、日本に伝えられたキリスト教は、精神文化面と物質文化の上に大きな影響を与えた。

    その後、慶長17年(1612)春、
    本多正純の与力:岡本大八と肥前(長崎県)の大名:有馬晴信の贈収賄事件が発覚し、両者が切支丹(キリシタン)であり、また徳川家康の旗本などにも信者がいることが判明岡本大八は火刑
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    殉教者皆無の鳥取池田藩†前編
    京都歴史研究会代表 2015/09/27 19:29

[ 編集 ][ 返信 ]殉教者皆無の鳥取池田藩†前編

京都歴史研究会代表

殺伐とした下克上の戦国時代、日本に伝えられたキリスト教は、精神文化面と物質文化の上に大きな影響を与えた。

その後、慶長17年(1612)春、
本多正純の与力:岡本大八と肥前(長崎県)の大名:有馬晴信の贈収賄事件が発覚し、両者が切支丹(キリシタン)であり、また徳川家康の旗本などにも信者がいることが判明岡本大八は火刑
この[岡本大八事件]を契機に、幕府は同年8月6日、
「伴天連(バテレン)門徒御制禁也。若有違背之族者忽不可遁其罪科事」と
全国的にキリスト教†信仰禁止を布告した

継いで、慶長18年(1613)12月23日、僧:崇伝により伴天連追放文が起草され、神道.仏教.儒教の三教一致思想からなる「神国思想」によるキリスト教†排撃が宣言された

慶長19年(1614)、切支丹大名:高山右近ら148名は長崎からマカオ、さらにマニラへ追放され、また各地で切支丹弾圧が始まった

元和5年(1619)には、京都で52人、長崎で58人が火刑斬首に処せられた(>_<)

元和8年(1622)露顕者は死刑、隠した者は同罪とした。

寛永3年(1626)から5年間、長崎奉行は切支丹を温泉岳の湯壺に投じ↓、その後も火刑、穴吊しの刑等々、徹底的に禁教政策を行った!

寛永14年(1637)島原一揆がおこったが、翌年には訴人に対して褒美が渡され、以後、値上げをし、水も漏らさぬ体制を固めた。
このように禁教政策の両法令は、世界に類い希な残酷な取締りを続けていった!

さてこの時代、各藩では毎年次々に切支丹受刑者を出したが、何故か、鳥取藩だけは明治維新まで、一人の斬首者、磔刑者を出さなかった!

表向きは、取り調べ投獄はしたが、いずれも釈放して、入獄中も家族に扶助米.銀子を与え援助している。

これらは見逃せない事実である!

2015/09/27 Sun 19:29 [No.141]