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1947年9月1日

女子高の坂道


木炭バスと言われても、想像もつかない。
ただ、故障が多かったとか。

それでも、その日の故障は最悪だった。
長崎市の北の入り口、打坂。馬を鞭で打たないと登らない坂という意味らしい。またの名を地獄坂。曲がりくねった道、片側は崖。現在では想像もつかないが、当時の地形図はまさにそうなっている。

そこで故障。

ハンドルもブレーキも効かない、最悪の事態。

バスはずるずると崖に向かって後退していく……。

若い車掌が飛び降りた。

近くの石をタイヤに噛ませ輪止めとするが、三十余の乗客の重みのかかった車体はたやすく乗り越えてしまった。

ずるずると、ずるずると、崖へ──

──しかし、奇跡は起きた。

何かに乗り上げてバスは止まった。

……もう、想像はつくのではないだろうか。降り立った乗客や運転手が見たものを。

横たわった車掌の体と、それに乗り上げたタイヤ……。


「息はある!」

自転車の急報を受けた麓の営業所の職員は、軽トラックで現場に戻り、彼を荷台に載せた。
炎天下。息は徐々に弱くなっていく。

……結局、助からなかった。

この勇敢な車掌の名は、鬼塚道男さん。享年、二十一。

これだけの出来事なのに、長く人々の記憶から消えていた。
それが一番 信じられない。

現場に地蔵尊が祀られ、顕彰碑が建ったのも、事故から時を経てからだった。

語る義務があるのではないか? 知った者には。

騙りがあってもいいのではないか? 顕彰の目的ならば。

SNSは、その手段となりえないか?

何度でも、語る。間違いを恐れずに、語る。

涙にぼやける液晶画面に、すべてを託す。

今日も地蔵尊は、安全と生活を見守っている。

生者が怠惰ではいられない。

…………………………………
(長崎自動車株式会社のホームページもご覧下さい)

2018/09/01 Sat 08:37 [No.1485]