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返信テスト

ちんら

JPG 360x240 33.1kb

返信すと

2022/03/27 Sun 15:27 [No.1498]

st

st

sつお

2021/04/02 Fri 21:19 [No.1496]

Re: テスト

すと

2019/10/08 Tue 19:18 [No.1494]

1947年9月1日

女子高の坂道


木炭バスと言われも、想像もつかない。
ただ、故障が多かったとか。

それでも、その日の故障は最悪だった。
長崎市の北の入り口、打坂。馬を鞭で打たないと登らない坂という意味らしい。またの名を地獄坂。曲がりくねった道、片側は崖。現在では想像もつかないが、当時の地形図はまさにそうなっいる。

そこで故障。

ハンドルもブレーキも効かない、最悪の事態。

バスはずるずると崖に向かっ後退しいく……。

若い車掌が飛び降りた。

近くの石をタイヤに噛ませ輪止めとするが、三十余の乗客の重みのかかった車体はたやすく乗り越えしまった。

ずるずると、ずるずると、崖へ──

──しかし、奇跡は起きた。

何かに乗り上げバスは止まった。

……もう、想像はつくのではないだろうか。降り立った乗客や運転手が見たものを。

横たわった車掌の体と、それに乗り上げたタイヤ……。


「息はある!」

自転車の急報を受けた麓の営業所の職員は、軽トラックで現場に戻り、彼を荷台に載せた。
炎天下。息は徐々に弱くなっいく。

……結局、助からなかった。

この勇敢な車掌の名は、鬼塚道男さん。享年、二十一。

これだけの出来事なのに、長く人々の記憶から消えいた。
それが一番 信じられない。

現場に地蔵尊が祀られ、顕彰碑が建ったのも、事故から時を経からだった。

語る義務があるのではないか? 知った者には。

騙りがあっもいいのではないか? 顕彰の目的ならば。

SNSは、その手段となりえないか?

何度でも、語る。間違いを恐れずに、語る。

涙にぼやける液晶画面に、すべを託す。

今日も地蔵尊は、安全と生活を見守っいる。

生者が怠惰ではいられない。

…………………………………
(長崎自動車株式会社のホームページもご覧下さい)

2018/09/01 Sat 08:37 [No.1485]

【7月28日(土)国東半島・猛暑】

女子高の坂道

≪7/28(土)≫


4:50、アラームで起き、茶と白猫にエサを出した。

朝食が、カレー。
コーヒーを飲みながら、夜明けを待つ。

6:25出発。給油15リットル。

災害というべき猛暑の中、
553キロメートルを走破した。

概し
会いたかった人に会えなかった旅である。

猛暑のせいか、台風の備えか、
先方も「いつもとは違う土曜日」だったのかもしれない。

あとは、蚊に悩まされた旅行だった。
ムヒは持っいったが、使いきる勢いだった。

ぼやき川柳も、「今までの経験が役に立たないかもしれない台風」を伝えるために短縮された。

給油10リットル。
21:30帰宅。

3匹にエサ出し。
─────
羅漢寺→斧立神社→富貴寺→随願寺→宝陀寺→清水寺→無動寺→椿堂→応暦寺

↑今村PA↑金立SA↑萩尾PA↑↓井上PA↓木場PA↓

歩数計8808
走行553

ガソリン1575+1490
土産643+1520
拝観料300
夕食883
─────

2018/07/29 Sun 13:48 [No.1482]

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すと

2017/06/08 Thu 23:53 [No.1478]

テスト

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すと

2017/01/25 Wed 17:54 [No.1476]