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儀一
こんばんは
こちらはあいにくと体調を崩してしまったため、休みなれど家から出れず。
明日も暑くなりそうなので、万全の水分補給対策をなさってくださいませ。
実は旧玉川村の物見山砦は一度も訪問してないという(汗
本来ならばムラっと訪問したくなる立地条件のはずなのですが、何故かテンションが上がらず未訪問です。
何はともあれお気をつけていってらっしゃいませ。
2010/07/29 Thu 02:51 [No.227]
史進
ご無沙汰しております
最近、埼玉県平地限定城館探訪会に復帰した史進です
そんな会あるんか〜(笑)
先月から県北を集中的にまわっていますが楽しくてしょうがないです
このところ、私も貪欲に伝承地のみならず、古代条里制田畑の区画、国分寺、国府なんでも食しますが消化が悪いようでお腹が膨れる一方です(汗)
本日はテリトリーを通過させていただきますので通行許可を(笑)
別件なので城館は微妙ですが時間があれば久しぶりに寄ってみたいです
2010/07/19 Mon 08:16 [No.222]
左馬助 web
「老袋城を探しているのですか?まったく所在地が不明な城ですね。ここが城跡という説はあり得ないでしょう。この稲荷神社が櫓台(望楼)ですか!?初耳です。
私も歴史が大好きです。まず玉泉寺の位置ですが、違う場所から移転してきています。恐らく、御所造営の際、玉泉寺が強制的に現在地に移転させられたのではないでしょうか。御所と旧玉泉寺は同じ場所だったと思います。移転前の玉泉寺跡は、老袋地区で最も高台となっています。
新編武蔵風土記稿に、村の南西と記されていますよね。現在の玉泉寺は村の南東になってしまうのですよ。
あと、我が家の稲荷神社ですが、札の裏側に慶長の年号が記されています。思うに、城内にあった稲荷神社が玉泉寺に移動し、明治2年に玉泉寺から預かったんだと思います。
今のところに江戸時代の寛文年間から住んでいますが、洪水対策のために高台としたものです。城跡ではないということ、玉泉寺が現在地と違うということを多くの方に知って頂きたいですね。
寺の本の取材があったのですが、私が玉泉寺の旧所在地等を教えました。本の内容の大半は私から聞いた話が掲載されています。」
城跡推定地としていた稲荷神社のある望楼跡説が、当主様によって異なる見解が示されました。
記事本文を、ほぼ全文書き直しました。
2010/06/01 Tue 21:02 [No.221]
左馬助
当主様から歴史を伺いました。
当初は「そね」地区にお住まいだった可能性が高いです。
「道祖土家は栃木県那須の出身で、藤原氏の一族です。那須にいる頃は「須藤」と名乗っていました。約800年前のことです。
その後岩槻城主北条氏房に仕え、老袋城主でした。
天正18年、豊臣秀吉によって北条氏が滅ぼされると、当主氏直は高野山へ追放、先代の氏政、八王子城主の氏照は切腹しましたが、その頃帰農したようです。約400年前のことです。
帰農した直後は現在地より南東にある「そね」の集落に住んでいましたが、その後現在地に移転しています。
現在の屋敷地は南北200m、東西90mです。中央の通路は何度も崩れるので維持が大変でしたが、舗装してからは大丈夫のようです。
名残(遺構)は、東側の善福寺に面している水堀の一部だけです。」
2010/06/01 Tue 14:58 [No.220]
丁度4年前です。
夜分に、お邪魔いたします。
本題より外れ、「品川台場」続きにて失礼を。
画像は諸事情のため、当分日の目を見ることのなさそうな第6台場の方のものです。
この辺りで撮影しておりますと、車両の通行に伴う橋の上下動が一段と激しくなって参りました。
なおこのもう少し先の方へまいりましたところ、歩道側は安全ネットが施工されて金網越しの画像となってしまいました(苦笑)
なお、確か昭和30年代中頃に撮影した品川台場の画像が亡父のアルバム中にあるはずなのですが、昭和30年代だけでも10冊ほどあるために、ついつい「3丁目の夕日」の世界に耽溺しております。
2010/05/11 Tue 00:41 [No.216]