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高校野球ネタ

マー坊

全国で選抜出場をかけた、高校野球 秋大が始まっていますね。

私の個人的な想いですが、高校野球は横浜高校中心に回っています?。(コジンテキニデスヨ

今から十数年前に、ヨタ高に丹波慎也という投手がいた事をご存知でしょうか?

上地雄輔が横浜高校のキャッチっだった話は有名ですが、上地の一年先輩です。

って事は松坂の2年先輩ですね。

松坂が一年の時、丹波は3年生のはずですが、一緒にプレーはしていません。

2年で新チームとなり、エースで四番だった丹波は、選抜を賭けた秋大の前に亡くなりました。

死因は、心臓肥大による急性心不全でした。

いつものように、学校から家に帰り、就寝してそのまま、目を覚ますことはありませんでした。
男前、スタイル抜群、成績優秀、そしてとてもやさしい人だったそうです。

その時の秋大はチーム一丸で勝ち抜き、選抜出場を決めました。
今でも横浜高校のグラウンドの片隅には丹波慎也投手のレリーフが飾られているそうです。(愛甲や松坂の物はありません

*PCで丹波慎也と叩くと上地のブログが出てきます。一度読んでみてください。(イイハナシデスヨ

そして丹波には幹雄という兄がいました。

兄も横浜高校で投手をやっていましたが、弟ほどの才能は無かったのかもしれません。
故障したこともあって、高校卒業と同時に野球はやめています。

しかしドラフト候補だった弟の急逝。
志し半ばで逝ってしまった弟の、その遺志を継ぐべく、
数年間のブランクがあるにも係わらず悲しみを乗り越え野球を再開しました。
クラブチームに入り、弟の分まで必死に頑張ったそうです。
そして数年後、兄、幹雄はプロ野球選手となり、弟の墓前にその事を報告しました。
クラブチームからプロ入りした選手は、今まで数名しかいません・・・。

もう一つの物語。

丹波慎也の急死をうけて、急遽エースとしてチームを引っ張ったのが松井光介でした。
松井は江戸川南シニアで松坂の2年先輩。
松坂が高3の時、すでに怪物として大注目されていましたが、
目標とする選手はと聞かれると、いつも『松井光介』と答えていたそうです。
*帝京高校入学がほぼ決まっていた松坂が横浜高校に入ったのは、尊敬する松井先輩の影響が大です。

松井もシニア時代は投手として活躍していましたが、
名投手丹波と同期の為、入学直後外野にコンバートされ、投手兼外野手として頑張っていました。
丹波亡き後、エースとして甲子園春夏連続出場を果たしましたが、身長が171cmと小さく
プロからは声がかかりませんでした。

しかし松井も丹波の遺志を継いだかのように、野球に全霊を捧げます。
大学、ノンプロを経て27歳にして、ヤクルトスワローズに入団します。
そして奇しくもヤクルトは、丹波の兄、幹雄が所属していた球団でした・・・。

弟、友の死を乗り越え、その遺志を継ぎ血のにじむ様な努力をする男達。
タッチの様なドラマが現実にありました。

『丹波慎也』 上地然り、色々な人間に影響をあたえたすごい人です。

以上、ちょっといい話でショ・・・?。
どうよ、アニキ! ウルっときた?(笑
つか、コレ、書き〜ノ、調べ〜ノで結構時間かかったんだから、誰かレスちょうだい(笑

PS:今春横浜高校を卒業し、ドラフト一位で阪神に入った高浜卓也内野手。
  下でじっくり鍛えてもらって、Mrタイガースになれるようガンガレ!

2008/09/18 Thu 22:26 [No.19]