のうさぎ
元高校生君。
> 僕にはかつておば(父の妹)がいましたが、父はおばに対しても、毎回会うたびに暴言や罵声を浴びせていました。
> あとになって分かったのですが、おばも心の病でした。
> 父はおばのことが心配で、ある意味おばのことを心配しておばに話しかけていたつもりだったのかもしれません。
> でも、父の口から出る言葉は全て暴言・罵声に違いありませんでした。
> 幼い時、僕はそうやって父がおばに暴言を吐くのを間近で見ていました。
なるほど。
今現在の君は、
・お父さんの「気持ち(真意)」は「心配」だった
・お父さんの「言葉(暴言・罵声)」は、「気持ち(真意)」が伝わるものではなかった
と結論付けたんだね?
随分、頑張って思考実験したじゃない?
これを、もう一歩進めると
◆「暴言や罵声」を発している人の真意は、必ずしも「害意や悪意」ではない可能性もある
と考えることも、出来るんじゃないかな?
(今は、確かにそうだ、という確信はなくても、可能性としてはある、と考えるだけで十分だと思う。)
> のうさぎさんや、他の人に、僕の間違っているところやおかしい所をいくら指摘されても、「ああ、この人はどうせ僕のことを分からずにいい加減なことを言ってるんだな。」、「どうせ僕のことが嫌いなんだろう。」といつも感じていました。
一つ、覚えておいてほしいことがあります。
幼い子供はいざしらず、ある程度の年齢を過ぎた大人は、本当にどうでも良いなら嫌味さえ言いません。無視します。
そして、どうしても必要だ、という時以外、人を叱る、という行動は滅多に取らなくなります。
その労力が勿体ないと感じるから、です。
少なくとも、私は今回君を叱ることが必要だと感じて叱りました。
今までの君は、しばしば「人との関係性を危機にさらす言動」をとっていました。それらは、一度でも使ったら絶交されても文句は言えないようなインパクトの強い言動です。
もしかしたら、君は、無意識にお父さんから「人との関係性を危機にさらす言動」真似てしまったのかもしれません。
理由はどうあれ、その言動のために、君の真意にかかわらず、相手との関係性は危ういものになってしまいがちなのです。
◆じゃあ、一体、どの言動が君の真意を阻害してるのだろう?
それを掘り下げるのは、先生の力を借りるのが近道かもしれません。心療内科の先生の意見とは違うかもしれませんが。
---君の今回の相談への具体案は、ここから----------
まずは、先生に
・自分は対人恐怖症であること
・その為に、真意を人に伝えたり、人の真意をくんだりするのが苦手であること
・しかし、人とうまく付き合って行きたい気持ちはあること
を伝え、その上で、先生に下記の提案をし、どちらかを選んでもらうよう「お願い」をしてみるのも一つの方法だと思います。
(A案)注意をするときは、タイマーをセットし、時間はX分以内にしてほしい。
(B案)注意をするときは、手間でも、箇条書きにしながらにしてほしい。
お願いするときは
「我儘なお願いだとは承知しているけれども、病気から不安感が強くなってしまい、
他のことが考えられなくなってしまう。でも勉強はしたいのでご協力をお願いします。」
と言い添えること。
ポイントは先生の指摘を受ける姿勢があると示しつつ、それを君が耐えられる範囲に抑える事。
そして複数案から先生に選んでもらうことで「両者が歩み寄った」事実をつくること、です。
対人恐怖症に限らず、ですが。
心の病を抱えている人が強い言葉に弱いのは事実であっても、ただ相手に「病状にあわせた対応をしてくれ」と要求しても、大抵は受け入れてもらえません。
何故ならそれは「自分にあわせてください。しかし、あなたに合わせる気はありません。」と宣言するのと同じだからです。
どんな人間関係であっても「お互いに歩み寄る」という意識がないと、うまくいかないのです。
---君の今回の相談への具体案は、ここまで----------
> 勉強する時もそうでした。分からないところがあると、「才能がないんだな。」と思ったりして、何度も本を破きました。
> 勉強の本に馬鹿にされているように感じたこともあります。
合理的に考えれば、本が読んでる人を馬鹿にするということは、あり得ない。
それは君も「理性」では分かってることだよね?
だけど君の「感情」は納得しなかった。
モノが人を馬鹿にするという「あり得ない出来事」が「あった」ように感じ、理性より感情が行動を支配してしまう。
君の現状って、こういう感じかな?
2014/10/20 Mon 19:50 [No.978]